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ゾクチェン高僧の虹の身

2020.08.16 07:13

http://gyalwai-nyugu.jp/article.aspx?id=93 【ゾクチェン高僧の虹の身-02:阿曲尊者略伝】より(初朴多洛リンポチェ 原著)

阿曲尊者

ゾクチェンの密法は原始ブッダ普賢王如来の心髄法門であり、この法門に従ってひたすら修行すれば、臨終する時に、肉体の身体が全部光に変わり法界に溶け込みます。つまり究極的な法身、報身、化身のブッダを成就しました。

雪地域のチベットでは、蓮華生大師(パトマーサンバヴァ)が伝授した密法によって、臨終する時に虹の身をもって消え去り、即身成仏した大成就者はたくさん出てきました。

この物欲が溢れる末法時代において、1998年の8月29日(チベット暦の土虎年7月7日)に、四川省甘孜藏族自治州新龍県鲁木饶寺には、また虹の身の大成就者が出現しました。地元の人に「阿曲ラマ」と言われている洛桑?阿旺切則郎瓦?貝桑波でした。

蓮華生大師はこうおっしゃったことことがあります。「外は経典に従って行い、因果を取捨する。中は密教に従い、二つの次第(生起次第、円満次第)を成就する。秘密はアディヨーガに従って、即身をもって虹の身を成就する」とあります。阿曲尊者の一生は文字通り蓮華生大師(パトマーサンバヴァ)の諭しに従い、修行を続けました。

 尊者は10歳の時、故郷の魯木饶寺で出家しました。沙彌戒を受けました。26歳の時、修法中の妨げで身体疾患にかかりました。当時ニンマ派の大成就者である敦珠法王はちょうどラサ市にいらっしゃいました。尊者は彼に加持を祈祷しました。敦珠法王は彼にこう諭しました。「もしあなたはドルジェプルバ(普巴金剛)の心真言を40万遍唱えたら、修法中のすべての妨げを清めることができる。」とおっしゃいました。そして、法王は彼にドルジェプルバ(普巴金剛)の密法を伝授しました。また法王は彼に修行の食糧も贈り、卡多という聖地へ篭もり修行に行くようにと言いつけました。尊者は40万遍のドルジェプルバ(普巴金剛)の心真言を40万遍完成した時、案の定病気が治りました。

それで、尊者は敦珠法王に強烈な信心が生じてきました。彼は法王がおっしゃったこと、やったことを全部ブッダと同じように見做しました。敦珠法王は自分と縁のある根本上師と感じていました。尊者は法王にゾクチェン秘訣の灌頂と伝承を求めました。法王は求法に答えて、即身成仏の法――ゾクチェンのチェッチョ(直知)、トッガ(刹那超越)の秘訣を残らず彼に伝授しました。また彼にドルジェプルバ(普巴金剛)の密法教科書と普巴金剛橛(法器)を授けました。

それ以来、尊者はドルジェプルバ(普巴金剛)を本尊としてひたすら修行し、すばやく成就の兆が生じました。

64歳の時、ラサ市にある大昭寺を礼拝し、お釈迦様の仏像の前でバターランプ(チベット族の伝統的な明かりで、チベット仏教の寺院などで用いられる、銀製の器にコットンを撚って作った芯を真ん中に立てバターを流し入れたもの.)を1000盃供えました。故郷に帰ったあと、およそ2千人の僧侶に沙彌戒と比丘戒を授けました。

何十年の修行で、尊者はすでに極めてレベル高い悟りを得ていました。彼は常に諸仏菩薩の加持を得ました。

阿曲尊者は即身で虹の身を得たのは、もっとも重要な原因が彼のひたすら修行にあるのです。

彼は30年間にわたって、毎年普巴金剛(ドルジェプルバ)、馬頭明王、憤怒文殊、静寂文殊、金剛萨埵(ヴァジュラ?サットヴァ)、大慈観世音など本尊真言を各10十万遍唱えました。74歳の時、尊者は大慈観音法を主として、六字真言を4億遍唱えました。

彼はよく弟子たちにこう諭していました。「即身で成就したければ、必ずひたすら修行しなければなりません。」と。

1998年8月29日の昼、81歳の阿曲尊者は身体上に何の痛みもなく、いつもと同じように、座禅の座席に座って、手に数珠を取り、口では絶えず六字真言を唱えていました。傍にいた侍従は尊者の唱え声がだんだん弱まってくることに気づき、すぐ尊者の手を取っていました。この時、尊者はゆっくり目を閉じり、呼吸をストップし、吉祥の臥しかたで涅槃に入りました。

侍従たちは尊者のご法体(ご遺体)を供養するために、涅槃の情報を7日間外に漏らさず守っていました。この期間に禅堂の内と外及び回りの何十キロに渡って五色の雲、光の塊、虹が何回も出現しました。多くの人が未曾有の香りを嗅ぐことができました。

涅槃後の二日目、侍従たちは法衣の下の法体(ご遺体)が日増しに縮小しつつあるのに驚きました。7日目の時、法衣の下の法体(ご遺体)が全部消えてしまいました。8日目の早朝に、侍従たちは謹んで法衣を開けました。みんなは大驚きました。法衣の下に何もありませんでした。尊者はつめ、髪の毛さえ残さず、全部虹の光に化けて、法界に溶け込み、石の上から飛び去る鳥のように、何の足跡も残りませんでした。

1998年8月10日から15日まで、四川省新龍県の21か寺院の何百名の僧侶は魯木饶寺で盛大な供養法会を行い、阿曲尊者に再び願力をもって化身してくださるように祈祷しました。


http://gyalwai-nyugu.jp/article.aspx?id=91  【ゾクチェン高僧の虹の身-04:法王如意宝·晋美彭措】  より

2003年チベット暦11月15日(阿弥陀仏の日)に、四川省の成都市で涅槃に入った。法体は五明仏教学院に運ばれ、16日の早朝3時に五明仏教学院に到着しました。七日間の間に非常に秘密の方法で法王の法体(ご遺体)を安置しました。その後、円寂の情報を外に知らせ、参拝に来た信者はみんな法王の法体が著しく縮小したのに大驚きました。法王の生前の体重は120キロに達したことがあり、身長は1.8メートルに近いです。参拝の信者はみんな口をそろえて、「法王の法体はどうしてこんなに縮小したのですか」と舌を巻きました。この間に空にはいろいろな形のカラーの虹が出現しました。12月3日の火葬式が終わって、何時間の高温の中で燃焼され、火葬塔の中の鉄器も熔けこみましたが、法王の心臓は何の損ないもなしに完璧に残りました。これは法王がわれわれに残してくださった金剛心です。


http://gyalwai-nyugu.jp/article.aspx?id=3  【ゾクチェン高僧の虹の身-05:阿色阿炯仁リンポチェの虹の身】  より

阿色阿炯仁リンポチェの虹の身

これは阿色阿炯仁リンポチェがわざわざ世間の人たちに残してくださった虹の身の法像です。なんのパソコンの人工的な合成もありません。これは普通のカメラで撮影した効果です。この写真は阿色阿炯仁リンポチェが円寂する前に牧場のテントの前で撮影されたのです。円寂後、法体が一肘の高さまで縮小し、空には月、日、星が同時に現れ、カラーの雲が漂いました。火葬後、多くの舎利が残りました。

円寂の半年後になってはじめてこの写真を現像してきました。阿秋法王に神通があるかどうかチェックしていただきました。阿秋法王は「中はもうすでに虹の身を成就した」とおっしゃい、また亜青寺禅修院の5000人の弟子にこの写真で加持を与えました。