改めて、仕事や研究の領域について
今年になって、自分がやっている仕事であったり、大学院などで研究している領域は、なんなのか?ということを毎日のように自問自答するようになった。
もう何年も前から「まちづくりするNPOをやっています」と自己紹介をしていたこともあってか、仕事=まちづくりということを自分自身疑っていなかったし、周りの方にもそのように見ていただけたように思う。ただ、ほんの少し「ずれて」いる。
少し前に書いた「「まちづくり」という言葉はどういう意味合いで使われているか?」にも重なるのだが、まちづくりの中でも、心に刺さる忘れられない瞬間には、共通項がある。
社会的にマイノリティな立場にされてしまう人々と出会ったとき、その人々の置かれる現状、それを生み出してしまう社会構造や人間関係の恐ろしさを知ったとき、大きな棘が刺さったような気持ちになる。このときの悲しい気持ちや「なぜ?」という疑問と怒りが、自分自身の真ん中にあるのだが、それゆえに、困難者を支えようとする援助者の取り組み、困難者の状況をブレイクスルーするような技術やプログラムの思想に、目も頭も奪われてしまう、そんな日々(少なくとも大学生から)だったように、振り返ると思う。
そして、助ける/助けられるという関係性に帯びているボランタリーな想い、助けられる立場だった人々が、誰かを助けるという立場に変わり「お互い様」が巡る瞬間、ツールを通じて障害を持つ方が「相手の言葉を感じる!」と失われていた感情に出会えたとき・・・人と人/人と技術の小さな相互作用の中で、困難者と援助者や他者との間に豊かな関係性が育まれたり、困難者の中に希望のようなものが芽生えたりしたとき、自分自身、この仕事を続けてこれたエンジンのようなものだった。
これは、「社会課題の解決」という大きな物語に回収されるような話ではない。相互作用の過程で、人の「やさしさ」で誰かの何かが変わり、「やさしさ」が巡り巡って、関わる人々の関係性や世界の見え方が変わっていく、具体的な変化が自分自身大切にしてきたことなのだと思う。
そういった内省があり、図のような整理になった。
残念ながら、云億円の経済価値をつくるエリアマネジメントだったり、地域活性化のための人材育成だったり、補助金や助成金のコンサルなんてできないし、やらない。
むしろ、ほっておけない人々を真ん中に置いて、その人たちのために、どんな関係性構築や支援ができるのか、どう社会・まちを変えていかなければならないのか、そのための実践と研究に力を注いでいきたいと思う。
頭の整理であるとともに、自分自身の決意でもある。