シリウスが燃える限りは待つてゐる
川越歌澄・句集『キリンは森へ』 俳句アトラス
立春やキリンのこぼす草光る 川越歌澄
百合の花咲く幾夜を寝そびれて 同
竹の春いま来た道の消えてをり 同
錬金術師またきのこ殖やしてしまふ 同
シリウスが燃える限りは待つてゐる 同
http://ggstar.net/space/post-210/ 【冬空に輝くシリウス】 より
この時期の星空観望会における最大の目玉は、31センチ望遠鏡で見るM42(オリオン大星雲)。晴れた晩には放射冷却で気温が下がり、屋上テラスが-15度以下になることも珍しくない。それでも標高1800メートルで眺める冬の星空は素晴らしく、空を見あげた瞬間に驚きの声を上げるお客様が多い。
ドームの外に出て南の空を見ると、オリオンの足下にひときわ明るく青白い光を放つ星がおおいぬ座のシリウス。マイナス1.46等星だから、2位を大きく引き離して全天で一番明るい恒星だ。なぜこんなに明るいかというと、地球からの距離が8.58光年と非常に近いから。
僕はHNKの人気番組『コズミックフロントNEXT』を欠かさずに見ているが、今週の番組では、このシリウスを巡るいくつかの謎を扱っていた。なかなか楽しかったのでちょっとご紹介。
このシリウス、実は小さな伴星を持つ連星で、明るいシリウスAのすぐそばにはシリウスBという白色矮星がある。このシリウスBの明るさは8.4等なので、理論上は口径300mm以上の望遠鏡で十分見えるはず。しかし我が旅館御岳天文台の310mm望遠鏡でも、見えるのはひと冬で数えるほど。空が澄んで風が無く、条件に恵まれた晩でないと見えないのだ。
シリウスAとBは、約50年の周期でお互いに複雑な軌道上を公転している。そして今後10年ほどは、二つの星の距離が離れている。そのため、明るいシリウスAのすぐそばにある暗いシリウスBを見るには絶好のチャンスだ。
シリウスAの直径は、シリウスBのほぼ100倍。並べてみるとだいたいこんな感じ。写真はネット上で見つけたものだ。
そして全くの偶然なのだが、白色矮星であるシリウスBと我が地球とは、この想像図のように大きさがほとんど同じなのだ。恒星なのに大きさが地球と同じ?! それはシリウスBが白色矮星だから。こんなに小さいのに、質量は我が太陽とほぼ同じ。だからものすごく密度が高く、角砂糖一個分で重さが1トンもあるという。
https://mirahouse.jp/drop/seishu/red_sirius.html 【赤いシリウス】 より
おおいぬ座
古代,シリウスは赤かった。真偽のほどは不明だが,けっこう有名な話だ。
『星の古記録』(斉藤国治著 岩波新書)によると,古くは紀元前700年頃のバビロンの粘土板に,シリウスが赤かったと伝える記録があるらしい。古代ローマ時代になると,イエス・キリストと同世代を生きたローマの哲学者で,著書『人生の短さについて』で知られるセネカなど,多数の人物がシリウスを赤い星と書き残しているそうだ。
そして,そのとどめが,天動説で有名なプトレマイオス(トレミー)が,その大著『アルマゲスト』にて,シリウスを「明るい赤みがかった星」と紹介していることらしい。これが西暦150年前後の話。
また,野尻抱影氏によると,中国にも「天狼が夜血を流す」という詩があるようだが,問題になっている紀元前後,その中国でも,司馬遷による『史記』巻二十七の天官書の方では,シリウスは白さを太白(金星)と比べる星らしい。
統括すると,だいたい紀元前1000年~紀元後200年くらいが「シリウスが赤い」と書かれていた時代となるが,その時代の文献でも白いと書かれているものもある,ということだろう。
今私たちが見るシリウスは,スペクトル型A1の青白い星。それが2000年とか3000年前に赤かったというのは,星の生涯に流れるスピードから考えて,あまりにも解せない速さであろう。それは,専門的知識のない私にも容易に判ることだ。
しかし,「赤い」と記す記録は「火星より赤い」などあまりにも明らかな記述であり,しかも多数残っていることから“古代人の間違い”で片づける範疇を越えている。どう考えたらよいのかということで,様々な解釈が試みられたようだ。
シリウスは連星系で,青白い主星(シリウスA)と50年周期で回り合う白色矮星の伴星(シリウスB)がある。当然,白色矮星はかつて赤色巨星だった筈で,その時シリウス(シリウスA+B)は赤く見えたと考えられ,それが古記録に記されているのだろうという説がある。しかし,この説は,赤色巨星がたった2000年そこいらで白色矮星になるとは考えれれないということで否定的に紹介されている。
また,古代,星は占いのために観測されており,文献は,観察結果をそのまま書いたものではないという見方もあれば,文献上のシリウスと私たちのいうシリウスは別の星だろうという見方,さらにはシリウスAそのものが当時赤かったのではないかという見方もあるようだ。
この謎を,『星の古記録』の著者は「明るい」と「赤い」が同じように表現されたのではないかと推測している。
また著者は,中国に伝わるという詩の一節「天狼が夜血を流す」(赤い血を流す星)についても,上層大気の密度の差がプリズムとなって星の光を分化した時,シリウスのような明るい星の光は,七色の光の中でも端っこにある赤が目立って見えることに起因しているのではと推測する。
赤いシリウスについては,かつてNifty-serveのFSPACEの会議室でも話題になり,いろいろな意見が出た。
古代の星は,星占いやそれにつらなる星のイメージなどがからみあって記述されていることが考えられ,明るい星シリウスは,火や暑さなどの赤をイメージさせたので「赤い」と記述されたのではないかという説。また,どこかで「赤い」と書かれたら,その伝承が伝わった文献でもそのまま「赤い」と書かれ,「赤い」という文献が多数残ったのだという説。古代エジプトで,明け方太陽を従えて昇るシリウスをナイルの氾濫の目印としていたことは有名な話だが,明け方地平線すれすれに昇ったシリウスを観測していたから赤く見え,それがオリエントへ伝えられたのではないか,など。
考えてみれば,恒星の色に限らず太陽の色なども、実際の色よりイメージが先行して描かれることは、現代でもよく知られたことである。例えば,太陽の絵を描くとき,日本の子どもは太陽を赤い丸で表現する場合が多いが,他の国では黄色に描くと聞いたことがある。太陽は実際には黄色に近い。日本の子ども達がそれを赤く描くのは、“日の丸を”はじめ,太陽を赤とイメージする文化が存在しているからだという。言われてみれば,天気予報などで出てくる晴れマークの太陽も赤く描かれていたりする。
観察結果として書かれているものとそうでないものとでは,違った結果を生じるのだと考えるのが妥当なのかもしれない。
とにもかくにも,赤いシリウスの話にはなかなか興味が尽きない。私のとある友人は,赤いシリウスの伝説を題材に小説を書いている。
どうやらまだまだこの謎解きは続いているようだ。