恋が忘れることだとしたら愛は覚えていくことだ
2020.08.17 13:18
恋が忘れることだとしたら
愛は覚えていくことだ
恋は盲目とよく言う。
恋をすると相手のことしか見えなくなって、
生活に支障をきたしたり、
周りに迷惑をかけてしまう。
我を忘れている。
自分の存在が見えていないのが恋。
そして周りも見えていないのが恋。
に対して
「愛は覚えていくこと」
それは
どういうことか?
◼︎相手を思う気持ちを覚えていく
◼︎自分と相手の関係を
育む過程を覚えていく
◼︎相手の幸せを願うことを覚えていく
◼︎相手に見返りを求めず
与えることを覚えていく
覚えるというのは
忘れないということでもある。
愛は決して忘れたりはしない。
自分も、相手も。
これらすべての「覚えていく」は
自分の目が覚めていないとできない。
また、
「覚える」「覚める」は同じ漢字である。
盲目の状況とはちがい、
目が覚めていることが分かる。
自分の存在を認識し、
目が覚めているからこそ
覚えることができる。
恋のように自分の存在がわからず
何も覚えようとしない「盲目」の状況では
決してできないのだ。
とすると、
愛は学習能力が高いのかもしれない。
学ぶこともまた愛にとっては
相手のためなのである。
◼︎恋と愛について
こんな偉人の名言がある。
「愛というのは
お互いに見つめ合うことではなくて、
一緒に同じ方向を見ることなんだ」
「星の王子様」で有名なフランスの作家、
サン=テグジュペリの名言だ。
恋のように盲目で相手ばかり見ていたら、
二人とも思わぬ落とし穴に
落ちてしまう可能性がある。
しかし、
愛のようにお互いがフォローしあいながら
同じ方向を見据えて歩けば
危険を回避できるだけではなく、
未来のイメージを共有することができる。
愛を持つ者どうし、
目が覚めているからこそ
絆を育めるのだ。
■恋愛においてはほとんどの場合が
恋から始まる。
恋という漢字には下に心がある。
愛という漢字の中心にもまた心がある。
生まれたばかりの恋という心は
下からだんだん成長して
やがて真ん中の心臓部分に達する、
人が感じる上で1番大切な場所だ。
恋の心が育つと愛になる。
恋はやがて愛になる。
そのためにも
盲目の状況から目を覚まし、
愛を覚えていきたいものである。
焦らず、それぞれのペースで。