南シナ海「九段線」に法的根拠はない①
中国による南シナ海での領有権の主張や人工島の造成は国際法違反だとするフィリピンの訴えに対して、ハーグの常設仲裁裁判所が近く判断を示すことになっている。中国の南シナ海での領有権の主張に法的根拠はあるのかが争点になっているが、中国の主張の背景や歴史的経緯、その問題点などを改めて整理してみたい。
主として参考にするのは、『南シナ海 アジアの覇権をめぐる闘争史』ビル・ヘイトン著安原和見訳(河出書房新社 2015年12月)である。(この本からの引用は以下、括弧内のページで示す)。
この本は、誰よりも先にまず中国人と中国政府当局者によって読まれるべきだと思うが、実は、台湾では日本語版より半年も早い2015年6月に『南海-21世紀的亞洲火藥庫與中國稱霸的第一步?」という書名で中国語版が出版されている。南シナ海問題をさまざまな論点から縦横に論じ、南シナ海の主権は中国にはないことを実証的に論及したこの本への、台湾の読者の関心は高いようだ。(台湾民報「由南沙群島「曾母暗沙」的謬誤談起」)。シナ大陸の人々にも真剣に読んでもらい、自分たちの無知と誤解に早く気づいてほしいものだ。そして尖閣諸島問題を抱える日本にとっても、南シナ海問題はけっして他人事ではない。だからこそ、この種の著作は、東アジアの当事者の一員として、漢籍をはじめとして洋の東西の資料を渉猟できる日本の学者やジャーナリストが率先して世に問い、人々を啓蒙すべきだった、とも思うのだが、そうした能力や気概を示す日本の学者・ジャーナリストが見受けられないのは残念だ。
それはさておき、中国人たちが「南シナ海は古来より中国の領海・領土だ」と主張するとき、必ず持ち出す「九段線」あるいは「U字型ライン」と呼ばれる線はどういう経緯で誕生したのだろうか。ただし、この「U字型ライン」の入った地図を、中国政府が公式の場に持ち出したのは比較的最近で、2009年5月、国連に提出した文書にこの地図を添付したのが最初だと言われる。しかも、それ以前もその後も、中国政府がこの「九段線」や「U字型ライン」について、それが何を指し示すもので、いかなる意味を持つのかについて、具体的に説明したことはなく、一度としてその国際法的な根拠を明らかにしたことはなかった。
前回のブログにも書いたが、中国外交部で報道局長や駐仏大使などを務めた呉建民氏(故人)は、「中国は九段線の内側は中国の領海だと認めているというが、中国政府は従来からそのような話をしたことはない」(2016年4月「環球時報」への寄稿「吴建民:南海问题要沉住气、全面看、有信心」)としているのは、ある意味正しいのである。「九段線」の具体的な根拠を示さないのは、あえて「戦略的あいまいさ」を残すための外交方針だという見方もあれば、以下に詳しく解き明かすように、もともと説明できるような根拠は何もないからだという見方もできる。
そもそも「九段線」とか「U字型ライン」という考え方が生まれたのは、中華民国時代の地理学者・白眉初(満州人)が1936年に出版した「中国建設新図」の地図に「九段線」の元となる「十一段線」と「U字型ライン」を書き込んだのが最初だといわれる。白眉初は北京師範大学地理学教授で中国地理学会の創設者だが、愛国主義者としても知られ、外国に奪われた清の領土について国民を教育するため、「中国国恥図」と題した地図を作成したほどだ。
ところで、このU字型ラインの最南端は、北緯4度のジェームズ礁を囲いこむ形でラインが引かれている。そして、このジェームズ礁を中国語では当初「曾母灘」と表記していた。「曾母」とはジェームズの音訳で、英国が作った航海図の英語名をそのまま借用したことが分かる。問題は、ジェームズ礁の「礁(shoal)」に「灘」という漢字を当てていることだ。「灘」とは海岸や砂堆など水から上に出ている場所をさす言葉だが、ジェームズ礁(shoal)は海面に出た環礁や島ではなく、海面下20メートルの暗礁なのである。それを海上に出ている島だと勘違いするから、領土的野心の対象になってしまうのだ。白眉初の「十一段線」の地図は、この海域についての無知と誤解をさらけ出す結果だけとなった。(戦後は、この名前の誤りを覚り、いまは「曾母暗沙」と言っている)。それほどのいい加減さで勝手に線引きしたU字型ラインだが、このラインのコピーは1939年から45年にかけて刊行された26の地図にもさまざまなバリエーションで取り入れられたうえ、1948年にはついに、中華民国政府によって正式に採用され、「中国が歴史的に領有してきた島々を定義するもの」と主張されることになる。1948年2月に発表された「中華民国行政区域図」には、「U字型ライン」と「十一段線」が描きこまれた「南海諸島位置図」が付図として添付され、領有が宣言された島嶼リストの総数は159を数えた。(参考:台湾民報「最敏感的國際海域:南海歷史初探」)
国際戦略家エドワード・ルトワックに言わせると「(十一段線の)地図が描かれた当時の中国は、外国の船が上海の黄浦江に入ってくるのを阻止することさえできなかったほど無力の存在だった。この地図の作成者は、酒を飲んで酔っ払った勢いでこのようなものをでっち上げたのだ。つまりこれは彼らの単なる『夢』や『願望』を描いた地図であり、中国がいつの日か強くなったときに獲得できればいいという『幻想』を図説化したものにすぎない」(『中国4.0』文春新書P36)ということになる。つまり「十一段線」とか「九段線」とは、彼らの空想の産物、あるいは「屈辱を晴らす」というコンプレックスの裏返しでしかなく、その「夢」がついに実現したといえるほどに、今の中国が強い大国になったとも思えないのだが。(続く)