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一号館一○一教室

レヴァイン演奏『ラグタイム・ピアノ』

2020.08.18 03:40

かくもちぐはぐな
音楽家人生が生み出した果実


209時限目◎音楽



堀間ロクなな


 クラシック音楽の最高の晴れ舞台といえばオペラであり、そのジャンルでおそらく史上最多のレパートリーを誇る指揮者は、1973年から半世紀近くにわたってメトロポリタン歌劇場のシェフをつとめたレヴァインであろう。これまでCDやDVDに記録された演目をざっと見渡しただけでも、モーツァルト、ベートーヴェン、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベルリーニ、ワーグナー、ヴェルディ、サン=サーンス、ビゼー、チャイコフスキー、レオンカヴァッロ、プッチーニ、マスカーニ、R.シュトラウス、チレア、ジョルダーノ、ラヴェル、オッフェンバック、バルトーク……と呆れるぐらい、歴代の作曲家の主要作品が網羅されているさまは、あの帝王カラヤンさえもとうてい足元におよぶまい。



 と同時に、レヴァインのもうひとつの際立った特徴は、こうしたさまざまなオペラの名作を指揮して、いずれも高い水準を維持していながら、わたしの見聞するかぎり、こちらが戦慄や陶酔のあまり忘我の境地へ引きずり込まれるという事態にまでは至らず、その手前で留まってしまうことだ。感心しても感動はしない、と評したらいいだろうか。稀代の大指揮者とは重々認めたうえで、そのでっぷりと太った巨躯にアフロヘアというコミカルなルックスもあいまって、つねにちぐはぐな印象がつきまとうのである。



 ジェームズ・レヴァインは1942年に米国オハイオ州のシンシナティで、ダンス・バンドのリーダー兼ヴァイオリニストの父親とブロードウェイの女優の母親とのあいだに生まれる。4歳でピアノをはじめ、10歳のときにコンサート・デビューするという神童ぶりを発揮し、ジュリアード音楽院を卒業後、輝かしい彗星のごとく国内各地のメジャー・オーケストラの指揮台に立つ一方で、30歳の若さにして前述のとおり世界最大の規模で知られるニューヨークのメトロポリタン歌劇場の主席指揮者に就任する。



 レヴァインの名が世界的な注目を集めたのは、フィラデルフィア管弦楽団を指揮したマーラーの『交響曲第5番』のレコード(1977年)がきっかけだろう。当時は苦悩と情念にまみれたマーラー演奏が主流だったなかで、そんなどろどろした澱をきれいさっぱり洗い流してコカ・コーラのように「スカッとさわやか」に再現してみせた手腕が世のクラシック・ファンをあっと言わせたものだ。かくて斬新なマーラー全集の完成をわたしも心待ちにしていたところ、なぜか第2番と第8番が取り残されたまま尻切れトンボに終わってしまった。その後、ドイツのレコード会社へ移籍して、栄えあるウィーン・フィル初の『モーツァルト交響曲全集』(1984~90年)の指揮に起用されたものの、ときあたかも作曲当時の古楽器による演奏がブームとなっていた時期だけに、いかにも後出しジャンケンの感があってほとんど反響を呼ばなかったのではないか。



 そうしたレヴァインの膨大なディスコグラフィー中、わたしが最も惹かれるのは『ラグタイム・ピアノ』(1977年)と題したアルバムだ。ライナーノーツによると、チェリストのハレルとかれのピアノの組み合わせでベートーヴェンの『チェロ・ソナタ全集』を録音したときに時間があまり、本人からの申し出でこのレコーディングが行われたとのこと。ラグタイムとは米国発祥のダンス音楽の一種で、19世紀末に現れた黒人作曲家スコット・ジョプリンがピアノ曲としてまとめあげた。代表作の『ジ・エンターテイナー』(1902年)は、のちに映画『スティング』(1973年)の主題曲に使われて、だれでもきっと耳にしたことがあるに違いない。レヴァインは独特の愛着があったのだろう、気楽な酒場にふさわしい大衆音楽をまるでショパンの舞曲のように格調高く弾いてくれるので、そのちぐはぐさがすっかり嬉しくなってしまう!



 思うに、レヴァインのちぐはぐさとは本人の資質ばかりではなく、かれがクラシック音楽のシーンに登場した時代そのものに由来するのではないだろうか。米国の先輩指揮者バーンスタインは世界平和や人類愛というスローガンを掲げて活動を展開できたけれど、それよりも24歳年下のレヴァインのころにはもはやそうした大言壮語が効力を失って、地球上のだれもかれもがちぐはぐなとりとめのなさにさまよっていたのではなかったか。だから、未曾有のオペラ指揮者として名声を博したレヴァインが、2017年に中年男性(女性ではない、念のため)から過去のセクハラ問題で告発され、ついに74歳にしてメトロポリタン歌劇場を解雇されたという結末までの、すべてがアイロニカルな世界状況を反映しているようにも眺められるのだ。



 その意味で、どこまでも真剣に奏でられた『ラグタイム・ピアノ』は、われわれが生きてきた時代ならではの芸術の姿なのかもしれない。