【千葉県】銚子(銚子市)
日本地図を見ると、千葉県に酒器のお銚子のような形が太平洋に突き出している箇所がある。
その場所こそ銚子市で、地名の由来もそこから来ている。
利根川河口にあり、古くから漁業が盛んにおこなわれていたが、江戸時代に入ると東回り航路の寄港地、さらには利根川水運の基点として物資の集積地としても繁栄した。
西国(特に紀州)から大量の漁師たちが出漁し、鰯漁が大量だったことから銚子に定住、鰯など近海魚の江戸供出とともに干鰯(ほしか)の生産も盛んになった。
一方で、紀州の湯浅で発祥の醤油醸造はその過程で伝来し、現在も野田(千葉県)と並ぶ東日本きっての醤油の産地である。
古い漁村の風景を色濃く残しているのは、銚子電鉄の終着駅がある外川、長崎だが、その町並みは相異なっている。
2つの漁村は至近距離にあるので、その両者を廻って相違を感じ取るのも面白いだろう。
【千葉県】銚子「外川駅」(銚子市外川)202008
総武本線の終着駅である銚子駅からさらに犬吠、外川へ伸びる銚子電気鉄道に乗り換え、終着駅の外川駅に降り立つ。
銚子電鉄の前身である「銚子遊覧鉄道」は大正2年が開通、同12年に漁港がある外川まで延伸させ現在の形になった。
木造の駅舎はその当時に建てられたものである。
【千葉県】銚子「外川漁村」(銚子市外川)202008
外川駅を降り立つと、漁港に向かって下り坂が何本も並行に並んでいる。
現在の区画をつくったのは、紀州の漁師の出である崎山次郎右衛門で、彼が伝来した任せ網の漁法で鰯が大漁となり、さらに干鰯(ほしか)加工も盛んになったことで外川の漁村は大いに発展した。
それを背景に外川港を築港し、漁村としては珍しい碁盤目状の街並みをつくり、「外川千軒大繁盛」と呼ばれるようになる。
現在もその町並みが残り、港に向かって急勾配な下り坂の縦の通りと、等高線に沿ったような横の通りが交わり、所々に寄棟切妻屋根の古い家屋が残っている。
(写真は漁港側から街並みを撮ったもの)
【千葉県】銚子「長崎漁村」(銚子市長崎)202008
外川漁村から海沿いに東へ進むと、太平洋に向かって伸びる石積みの小さい岬「長崎鼻」が見えてくる。
その長崎鼻を望む場所に長崎集落がある。
外川と並び古い漁村の名残が色濃く残るが、人工的に区画された外川と対照的に自然の街割りに家屋が並ぶという、一般的な漁村の町並みと言える。
特徴的なのは、一階建ての低い平屋家屋の周囲に自然石で積み上げて造られた低い塀が残っていること。
長崎集落は三方を太平洋の外海で囲まれているため、風害の直撃を受けやすく、かつては家並の直前まで波が洗ってきたらしい。
厳しい自然環境と長らく対峙してきた歴史を感じさせる集落といえる。
【千葉県】銚子「礒角商店主屋」(銚子市)202008
銚子は昭和20年7月に米軍のB29による機銃掃射の空襲で1000人以上の死者を出し、市街地も壊滅的被害を受けた。
そのため、現在の町並みは戦後になってからの復興によるものである。
飯沼観音近くに戦前建築と思しき趣きある町家があるが、実際には戦後の昭和28年に建てられたものだという。
この「礒角商店」は江戸時代から続く廻船問屋で、和洋折衷の主屋は国登録有形文化財の指定を受けている。