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眠らない街で出会いましょう 1(文

2020.08.19 08:27



「ちょっとはそこで頭冷やしてろ!」

 肩を突かれて、店の外に追いやられると、乱暴に扉が閉まる音が響いた。

赤や青や光の渦が汚いものも飲み込んでいく。

こんな風に地べたに座り込み、片足からヒールが脱げかけていても、少しだけの関心を向けながらまた誰もが足早に過ぎていく。

 流れる人の波をスローモーションのように感じながら、ぼんやりと眺めていると、綺麗に磨かれているハイヒールの先が視界の先に映り込んだ。

「大丈夫? 立てる?」

 誰かに声をかけられるなんて思っていなかったから、掛けられた言葉に直ぐには反応できずに確かめるように顔を上げると、差し出された透き通るような白い手と、少しだけ眉を下げて心配そうに覗き込む薄茶色の瞳に出会う。

とても色素が薄い人だと思った。

 いつかの日に遠目で視界に映り込んできた時には確かこの街では誰もが知っているあの大柄な男と一緒だった。

あの時とは少し印象が違う。

 色づく頬は白い肌によく映え、濃く引かれたルージュは整った顔立ちを引き立てている。

人で溢れかえったこの街を、跳ねるように、眩しいほどに健康的な屈託のない笑顔を浮かべていた様が、鮮明に脳裏に過った。 


「か、おりさん?」

鳶色の瞳が、大きく見開かれる。

「あたしのこと、知ってるの?」

「前に……見かけた事があったからーー」

「……でも、名前? ……ね、あなたは?」

 バンと扉が勢いよく跳ねる音とともに、ヒステリックな声が不快感を伴いながら耳に届き、思わず香が顔をしかめる。

「お前なんかに指名だとよ! さっさと入ってきやがれ!」

 店の黒服と思われる男の投げ捨てるような言葉に、よろよろと立ち上がる少女の前に、スッと香が立ちはだかる。形の良い眉がピンと上がり、白い頬に施された化粧とは違う、色が増していく。

「やめなさいよ。こんなまだ幼い子相手に」

「なんだあ? お前!」

今にも掴みかからん勢いで、黒服の男が威勢を張る。

「揉め事になるとそっちが困ると思うんだけど? この子、まだ十八にもなってないんじゃない? どうして働かせてるのかしら」

 黒服の男が一瞬言葉に詰まりながら、舌打ちをして苦々しく香を睨みつける。

街の喧騒を背に揉め事など日常茶飯事だとばかりに、香は瞳を逸らさず顔色を変えない。

 少女は思う。

どうしてこんな風に私という会ったこともなかった人間の為にしなくてもいいはずの面倒に向かっているんだろう。

 心は虚無だ。

正直どんな扱いを受けようと、今が過ぎれば良かった。

 熱さなんかいらない。繋がりなら携帯の中に詰まっている。それで充分なのに。 


「……じゃああんたがこいつの代わりに店に出てくれるのかよ? それならこいつを解放してやってもいいぜ。あんた上玉だし、うちのオーナーも二つ返事だと思うぜ?」

頭の中で算段した答えは、稼げる方に狙いをつけろ。だったらしく、変わり身の早さなど当然だとばかりに、提案を投げつけてくる。

 この街はそんな街だ。

隙間を縫うように上手く渡り歩ける者ほど生き残る。

 まあ、よくあるパターンよね。と香が独りごちる。

ただ、対象が自身だということに苦笑いが漏れる。訳あっていつもとは違う格好をしている事で、夜の女というカテゴリーにふるい分けされている事が慣れなくて、ため息が溢れた。 

「確かにこの子が望まないかもしれない揉め事を起こすのは、良いことじゃないのかもね。ねえ、あなたいくつなの?」

 感情の見えない瞳を向けた少女の口から答えは紡がれない。 

「ねえ? このままここで警察沙汰になることをあなたは望むの? 少し色々聞かれるかもしれないけど、自由になれるわよ」

早くしろと黒服の男が苛立った様子で二人を見据える。

「お前に入った指名客が待ってんだよ。早く決めろよ」

「煩いわね。警察沙汰になったら困るくせに。少しぐらい待てないの?」

「客は待ってはくれねーんだよ!」

「……分かったわよ。無理やりなやり方はあたしも嫌だから、とりあえず今はこの子の代わりにお店に出るわよ。でも指名客なのにあたしでいいの?」

「相手の客は綺麗な顔した女なら誰でもいいって奴だから大丈夫だろ。そこはあんたが上手いことやってくれんだろ?」

 舐めるように下から上まで視線を這わせていく黒服の男に不快感が募っていく。ちらりと少女の表情を伺うが、相変わらずの無気力な様子に腹を括る。

「できるかわかんないけど、相手に合わせてみるわよ。だから、この子はもう働かせないでよね」

 少女の意思はわからない。もしかして香の行動は迷惑なだけなのかもしれない。でも見過ごせないものは仕方がない。

(まあ、いっか……なんとかなるでしょ)




「ば〜か。何やってんだよ、こんなとこで」

 一番バレたくなかった相手の声を頭上から受けて、香の顔が軽く引きつる。

このタイミングでここにいるはずがないんだけど? と無言のままで深い黒の瞳の方へと顔を上げると、仏頂面の見慣れた顔に出会う。

「……特に何も。ここは気にしないで、大丈夫だから」

「な〜にが大丈夫だよ? お前わかってんの? 今は潜入中なんだけど。オシゴト中。だよな?」

 不自然な程視線を合わさない香の顔をぐいと覗き込みながら、呆れたように獠が言葉を吐く。

「獠…だって……」

「あん?」

 消え入りそうな香の声にわざとらしく反応する目の前の男がなんだか憎らしいが、仕事中なのは事実なのでいつものように啖呵は切れない。

「りょ、獠だって! 空き時間にナンパでもしにいってるんじゃないの? そ、それに! 次の指定時間まではまだあるはずでしょ?」

「ほーー、そうくるか? 何度呼んでもお前が反応がねーからまた攫われでもしたかと見に来たんだけど」

「え!?」

獠の言葉に、あたふたと焦りながら耳元のリングタイプのイヤーカフに手を当てる。

「な、何にも聞こえなかったけど」

「あ?……ったく、肝心な時に使えないもん渡しやがって! 冴子のヤツ」

苦い顔で、チッと獠が舌を鳴らす。

「ちょ、ちょっとお前ら一体なんなんだ!? 早くしろよ! あんたが相手にしなきゃいけない客が待ってんだよ!」

 突然に男が現れた途端、繰り広げられた応酬に気圧されていた黒服の男が、明らかに威勢を失いながらも二人の間に割って入る。


ゴリーー


 背中から圧倒的な黒い塊の感情を受けながら、黒服の男の後頭部に押し当てられたものの感覚に、本能的に嫌な汗が流れていく。その正体を男が推し量り、息を呑む。

(これはーー!? なんでこんなものーー)


(まさかーー!?)


 答え合わせのように、浮かんだ可能性に驚愕の表情が浮かぶ。

 この街の犯してはならない禁忌を、自らが踏み付けていた事を悟り、発した声はただただ狼狽の色に満ちている。

「し、シティーハンター!? じゃあ……この女はーー」

「そ。俺のパートナー。で? 本気で俺の相棒を働かせちゃったりするのかあ〜?」 

 おどけた口調だが、瞳は冷たく光る。

何度だって聞かされてきた。

命が惜しければ決して逆らうなと。


 狂気にも似ている瞳の奥の光に、目の前の男の本気を悟り、じりと前へと自然足が動いていく。

 カツンと小さな鈍い響きと共に、地面に転がる廃棄されていたデッキに足を取られて、黒服の男の体勢が揺らぐ。

逸らすことができなかった視線が逸れた事で冷静さを少し取り戻す。体制を整え、落ち着けと一つ息を吸った。


「……知らなかった事とはいえ、失礼をしました。こちらとしては元々の女を返して頂ければ、それで結構です」

 香の横で立ち尽くすう少女を視界に入れて、淡々と男が話を進める。

少女は特段興味なさげに俯き、掌の中に握られたスマホの画面をじっと見つめている。

まるで人ごとね、と香の眉が緩く弧を描く。


「それはダメ。この子どう見ても未成年よね? それにあんな風にぞんざいな扱いをするような人がいる所に、知らぬ顔で置いていける訳ないじゃない」

 挑むように獠に向き合う、引かない香の意思に、はあ……と面倒臭そうに獠が頭をガシガシと乱す。

「……て言ってるんだけど? うちの香ちゃんが」

間延びした声に、黒服の男の口元が歪む。 

「…これはうちとその子との契約の問題です。いくらあなた方といえど、ルールを無視されては困ります」

「フン! どーせ、嘘ばっかりで固めてある契約でしょ? だってまともならそもそもこの子を雇えるはずないじゃない」

「……あなたにそこまで口を挟む権利が?」

「ないわよ。けど、この子に決められないならあたしがまるごと預かるわよ」

「……言いましたね」

「言ったわよ」

屈強な男の睨みにも一切怯むことなく、勝気な瞳を揺らしながら香が言い切る。

「ったく……お前こうなると引かねーからなあ。なあ、店長いるか?」

「奥にいますよ」

「悪いけど、案内してもらえるか?」   

「獠!?」   

 戸惑った様子の香が声を上げて獠のスーツの裾を握りしめ、視線を重ねる。

「お前、その子とここで待ってろ」 

「りょーー」

 抗議の声など聞かぬとばかりに、唇を塞ぐ。甘さではなく軽い熱を持つ交わりは、周りの時間をも攫っていく。少女の視線をも縫い付ける。


「待ってろ」

 離れ際、香の耳元で囁くように告げると、毒気を抜かれたような黒服の男と共に店の中に消えていく。

残された香には余韻というなの熱がじわりと広がり、灯された火照りに、

「なによ……もう…」

と、印だけを与えていった男へと呟きが漏れる。片側から視線を感じて振り向くと、先程までの無気力な様とは違う、あどけない表情の少女が居た。

「大丈夫?」

「……うん」

 返答があった事に、ほっと安堵感を覚えて、思わず笑みが溢れる。

「よかった。ごめんね、なんだか余計にややこしい事になっちゃったかもしれなくて。でも……あなた、この店で働いていたのよね?」

 コクン。と少女が小さく頷く。

「働ける年じゃないわよね? いくつ?」

 香の言葉に肩がぴくりと動き、少女が俯きながら答える。

「……十六」

 顔を上げようとしない少女に、ねえ、と柔らかい声が届く。

「あなたがどうしてここにいるのかなんて聞かないから。ただあたしはあなたがここにいたいのかどうか知りたいだけ」

 そう言って笑う香に、少女の心の何かがはらりと剥がれていく。

 



 先程のひりつくようなやり取りに、自然目が離せなかった。あの男の人は以前見かけたあの人だろう。パートナーだと言っていた。


ーーシティーハンター    


 この店で聞いた噂が街で見かけたあの二人だと知ったのは、少し経ってからだった。


『XYZってね、あの二人を呼ぶおまじないなのよ』


 詳しい意味は知らない。どうしても助けて欲しい時に縋るおまじないだと聞かされた。

 どうでもよかったけれど、偶然見かけたキラキラとしていた彼女の事は、こんな街にはアンバランスでとても印象に残っていた。

 キラキラと輝いていた彼女は、今日は艶っぽくてなんだかとてもこの街に溶け込んでいる。


「私を連れて行ってくれるの?」

「あなたが望んでくれるならね。大丈夫。きっと獠が話をつけてくれているはずだから」

「りょ…う? あの人? さえばりょう?」

香の丸い瞳が大きく見開かれる。

「あなた、どうして?」

「だって聞いたことあるもの。有名だよ。この街じゃ」

 何故そんな顔をされるのか分からないといった様子で、さらりと少女が答える。

「ん? そっか……まあ、ある意味あいつ、この街で知らない人いないかもね」

「恋人?」

「え?」

 極端的な問いかけに香の頭がフリーズを起こす。

「な、な、なんで?」

「だってキスしてた」

 ストレートな物言いはこの年頃特有なのかもしれない。聞きたいことを違うことなく投げかけてくる。

 一転、大人の香と少女の立場が入れ替わる。あたふたと目が泳ぐ香は艶やかさをどこかに置き忘れている。

あれは……その……だからっ!と真っ赤になりながら眉を下げる香に、少女の顔に笑顔が浮かぶ。

「…やっと笑った」




 キイと扉を押す音と共に、先程連れ立って消えていった獠がのっそりと顔を出す。  

黒いスーツを身に纏った獠は、悔しいけれど見惚れてしまうほどにいい男だと思う。

熱だけ残していった事に、疼く思いがふつりと胸を撫で拗ねたようにプイと顔を逸らす。

「香? なーに拗ねてんだよ」

 なんでもお見通しなのが腹も立つし、心地がいい。

「拗ねてないわよ。人前であんな事されて怒るならともかく」

「ふーん?……足りなかった?」

 ニヤリと口角を上げ、肩を抱いて香を腕の中に囲う獠は、雄の顔を隠さない。

「な…!? ば、ばか! そ、それより大丈夫だったの?」

 この腕の中は自身の場所だと甘やかすように教え込まれてからもう随分と立つが、まだこうやって簡単に胸は跳ねる。跳ねた気持ちを隠すように獠の言葉を促す。

「まあな。お前が後先考えねーから、いっつも俺、大変なんだけど? しなくていいヤロー達とオハナシもしなきゃいけなかったしい?」

 口を尖らせ、不貞腐れる獠に、ごめん……と香が反省の色を落とす。

「俺が来なきゃ、お前代わりに連れていかれてたぞ?わかってんのか?」

「わかってるわよ」

「わかってねーよ」

 コツンと軽く額を小突かれて見上げると、少し困ったように瞳を細める獠に、またもう一つ胸が跳ねた。

誤魔化すように、早口で告げる。

「し、仕事中だもの。ちゃちゃっと顔出して、直ぐにこの子を連れて離れるつもりだったの!」

「...お前ほんと甘チャン過ぎ。そんな上手くいくかよ」

「うっ……」

 正論過ぎて言葉に詰まる。

「……そろそろ行くぞ。あんまり戻らないと、冴子がキャンキャン煩いからな」

 そう言いながら、香のイヤーカフを指の背でなぞる。 

「ん……。そうだね、行かなきゃ。それで、獠、話はどうなっーー」

 獠の人差し指が、香の口に添えられ、少女の方へと視線を移す。

「あー、それは後でな。今説明してる暇ねーから」  

「……分かった」

大人しく香が頷く。

「この子どうすんだ?」

「もういいんだよね? 戻らなくても」

「まあな」 

 獠の言葉に、香の顔が綻び、くるりと少女の方に向き合い伝える。

「もう自由だからね。帰らなくちゃいけない場所、ある…よね?」

 少女は黙ったまま、香の顔をじっと見つめるが、目蓋を落としてまた無気力さを纏う。

少女の変化に気付いた香が確かめるように伏せた瞳を覗き込むと、縋るような震える瞳に出会う。


 隠した本音が少し見えた気がした。

危うさに揺れる瞳と無気力のアンバランスが、この街に飲み込まれていきそうで、瞬時に判断をする。


「獠」

「パス」

「まだ何にも言ってないわよ!」

「お前がそんな顔するときは嫌な予感しかねーんだよ」

 勘のいい男は相変わらず先読みが上手い。

それでも否定の言葉は、完全に突き放す冷たさは含んではいない。

 しかめ面をして香の次の言葉に牽制を見せるが、獠は優しいのだ。冴羽獠という男は、とても分かりにくいが最後にはその手を差し伸べる。


「置いてはいけない」

「……仕事中だろうが」

「それでも」

 こんな時に引かない香の性格はよく分かっている。分かっているが故に、ちっと舌打ちを獠が打つ。

「お前な」

「ごめん」

「俺は知らないからな」

 呆れた中にも諦めの色を混ぜながら、獠が背を向け歩き出す。

「時間だ。行くぞ」

「うん」

 その背に遅れないようにと少女の手を取り、目的の場所へと歩みを進める。握る手から伝わる温もりは、こちら側に在るべき存在ではないはずだから。

 


 眠らない街の、色や音や人が溢れる間を泳ぐように通り過ぎていく。見失わないように。優し過ぎる男に甘えた分だけちゃんと、と唇を結ぶ。繋いだ手も離さない。大丈夫。と願いながら少し強く握りしめると、羽織っている上着をギュッと掴む少女の指先が視界の端に映る。香の口元が少し緩む。

  


「あのさ」

「うん?」

 少し先を行く暗闇と同じ色のスーツを纏う存在を瞳で追いながら、片側から聞こえる声を逃さぬようにと耳を澄ませる。

 頭上にあるスピーカーからは、注意文のような決まり事を促す声が絶え間なく流れてきて、今日はやけにピーピーと雑音が混じっている。   

「私……まだ帰り…たくない」

「……そっか」

 どこへなのかは示されていないが、少女の言葉に香が頷く。

 今は仕事が優先だ。意思だけ聞ければ充分だと思った。

「ちょっとだけ、あたしに付き合ってね。その後のことは終わったらゆっくり話しましょう」

「香! 少し早まりそうだ。急げ」

 獠の声に弾かれるように前を見つめると、携帯電話を片手に、

「ったく、窮屈だよな」

とネクタイを緩めながら、瞳で香を呼ぶ。

絡み合う視線の熱の意味をちゃんと聞かせてほしいと、こんな時にこんな場所で思うなんて、それぐらいお互いに隠さなくなっている。

 

  アスファルトを軽く蹴り、少しでも近づこうと高鳴る気持ちと駆け出した香の手をキツいぐらいに少女が握りしめる。まるで引き止めるかのように。

「……どうしたの?」 

「なにもかも嫌になったの」  

 揺れる。

「誰も一緒に居てくれなかったの」

 飾りのない言葉は、時に息を呑むほど真摯で交ざりがない。 

「あなたが……」

「……」

「私と一緒に居てくれる人なの?」


届いたのだろう。

獠がこちら側を振り向く。


少しだけ時が止まった気がした。

言葉は再度紡がれる。縋るでもなく、けれども冗談の類ではないだけの本気の瞳を乗せて。


「私はあなたがいい。お願い」

 腕を強く掴まれる。

「……香。もういいだろ? 行くぞ」 

「でも……」

 掴まれた手から苛立ちが伝わる。分かっている。これ以上の面倒事を今、背負い込むわけにはいかないことは。それでもーー

「……置いてはいけない」 

「香!」



少女は香だけを見つめている。

ほんの少しだけ重なった気がした。

あの頃のあたしに。

アニキを失って、獠がいなかったらきっとこんな風な瞳をしていたのかもしれない。

あたしは出会えたから

きっとあれは奇跡だ。



「私と一緒にーー」

 呟いた言葉を終わりまで聞くことなく、香が少女を引き寄せる。

「大丈夫だから」

 繋いだ手の先で、少女がコクンと頷く。


 きっとこの街はこんな気持ちをいくつも見てきたんだろう。

「アホ。勝手にしろ」

 一呼吸おいて、くしゃりと乱雑に頭を撫ぜられる。撫ぜられながら、言葉にしない優しさを受け取る。

 繋いだ手の温もりはこんなにも温かい。離しちゃいけない気がする。

「行こう」

 少しだけ止まった時の振り子を戻すように、勢いをつけるように力強く手を引いた。



2020.8.19