世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」/ 山口 周
この題名からすでに想像できる感じの内容なので、「そうなのかー!!」というような驚きは特にありませんが、読みながらいろいろと考えて面白かったです。
経営の意思決定が、「アート」(美意識、直観)、「サイエンス」(体系的な分析、評価)と「クラフト」(過去の経験や知識)の3つの要素からなされる。この場合、「サイエンス」と「クラフト」についてはきちんと説明することができるけれど、「アート」については説明ができない。
そこで、議論を戦わせる場合や説明責任を負う時に「アート」はすごく弱くなってしまう。けれど、論理的に納得ができる「サイエンス」と「クラフト」のみに頼ってしまうと、結局、現状にスピードとコスト削減を加える苦しい戦いになるだけで、差別化もできず、経営の飛躍は望めない。しっかりとしたビジョンを持ち他社と差別化する意味でも経営には「アート」が必要。だから、トップに「アート」を持ってくるべき、トップの人が「アート」に優れている、もしくはトップの人が直接「アート」面の強いリソースと組むべきだ、という話です。
そんな内容を読んでいて、これは会社の話だけれども、一人の個人の意思決定の際もそうだなあと思いました。何かを決めるとき、いろいろと検討して、理論的に予測して、ああすればこうなるだろう、今までこうだったからこうすべきだろう、とか、考えるのだけど、結局最後の決定は、なぜそうすべきと思うのかはなかなか説明できない高揚感のようなものによってなされるように思います。そんなのがアートかなあとか思いました。私は会社の経営とかは今は全然関係ないので、そんな風に置き換えて楽しんで読んだりしました。
ただ著者はコンサルタントの仕事をしている方のようで、実は私はコンサルタントが嫌いです。特に、一度も会社での実務経験がないコンサルタントとか、会計士は、やっぱりねぇとか思ってしまうところがあって、この本もちょっと批判的になったり、勝手にヤジを飛ばしながら読んでいました。
最初の部分では引用が多くて、あと何べんも「今までのところはこういうことを書きました。」という復習のパートが多くて、「もうわかったから次に行ってください」って感じもありました。そういうところが、まあコンサルタントくささがするのです。
でも、最初は何となく気乗りしなかったけど、読んでいるうちに、けっこう丁寧にいろいろと調査したり、幅広くアカデミックな文献(カントとかプラトンとかフーコーとか)を参照したり、現在のいろいろな会社の動向(グーグルとかユニクロとか)をこの3要素に絡めて説明していたり、きちんと書かれていて、いろいろ悪口言ってごめんなさい、この人かなり優秀だわ、凄いなあと尊敬し、感心するようになりました。
「美意識を鍛える」ためにはどうしたらよいか? 絵を見る。とにかく純粋に見て何が描かれているかを発言していく研修があるとか。うーん。それは、そうじゃないでしょー? 日曜美術館じゃあるまいし、なんて思いました。ここらへんは私が研修が嫌いだったのと、特に例に出ていたのが、個人的にあまりいいと思っていないカラバッジォの絵画だったから余計にそう思うのかもしれませんが。
調査したら、優れたエリートは芸術(音楽、美術、文学)をたしなんでいる人が多いということがわかったと書かれていたけれど、それはつまりエリートがある程度の富裕層から構成されていて、富裕層は殆ど教養として芸術をたしなんでいるからじゃないかなあなどとも思いました。
弦楽器を弾く人にお医者さんが多いのですが、別にヴァイオリンを弾いていたから医者になったのではなく、たぶんそのような高学歴に子供をするような家庭ではヴァイオリンを習わせていることが多い結果ではないかというのと似たような話です。
こういう既存のシステムを打開できるような意味での「アート」って、ただ芸術に接することではないと思います。展覧会の絵をたくさん見ればよいとか、本をたくさん読めばいいとか、楽器を弾けばいいとかそういうことではないと思います。
実際、芸術の営みの中にも、「アート」、「サイエンス」と「クラフト」の3つの要素があるわけで、やっぱり、日常の練習や合わせの中では、「クラフト」(演奏テクニック、アンサンブルの縦が合ってるかどうかなど)に埋もれがちで、「サイエンス」(和声や楽譜の読み込み)は説明による共感が取れるけれど、「アート」は絶対に必要でありながら、意識されていないことも多い。そして、共同作業のときには「アート」における共感を持つというのはなかなか簡単ではないです。簡単ではないというか、簡単というか。つまり言葉でなかなか確認できないものだと思います。
ある人にはある。
芸術の分野においても、言ってみれば、「アート」がないアーティストがたくさんいて、「アート」がない芸術作品もたくさんもいっぱいあるので、接していれば美意識が育つということではなくて、逆に芸術的なこと何もやっていなくても美意識が高い人もいると思います。
この本では日本は「サイエンス」と「クラフト」のみに関心が行きすぎていると言っていて、言っている意味は分かるのですが、私の経験では逆に会社のミーティングなどできちんとこの「サイエンス」と「クラフト」を固めていない部分も多いようにも思いました。なーんか、すっきり説明すべきことを「わかるでしょ」という雰囲気で語っていたりとか。
この本でも最初のほうで釘を刺してはいますが、会社の経営でも、芸術でも、何でもそうだと思いますが、ロジックを無視したアートのみがふらふらと語られるのはただのひとりよがりの思いつきで、泡のようなものになってしまうのだと思います。
「サイエンス」と「クラフト」のその先に、人に感動を与える「アート」、美意識は生まれるのかと思います。
美意識とか、ビジョンって、結局、自分はどう生きようと思っているかってことですよね。
そう、「アート」って芸術とか芸術作品というより、「デザイン」「設計」そういうイメージのほうが誤解がなくなるような気がします。もちろん「どう生きよう」って、職業のことではないです。大工になるのなら、どういう大工になるかっていうことです。
会社でも芸術でもそれがあるのがいいんだと思います。
そして、その本質は『「選択と捨象」、つまり「選択」したら、後は「捨てる」といいうこと』、何を選択するかというのは、何を捨てるのかということでもある、というのも響きました。
なんか、突っ込みのコメントのほうが多いですが、それだけいろいろ自分でも考えながら読めたという意味で、よい本だったと思います。
会社にお勤めの方にも、芸術に興味のある方にも、両方の方にもお勧めです。