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意識のスペクトル

2020.08.21 07:34

http://www.joyus.jp/hikarinowa/activity/psychologyandsatya/00/0007.html

【意識のスペクトル】 より

「意識のスペクトル理論」はケン・ウィルバーが唱えた、人間の心の成長(意識の進化)を段階的に表したモデル図です。

本来、わたしたちの意識というものは、何の制限もないもので、すべてに拡がってすべてと一体化した状態であるといいます。図では「統一意識」「宇宙」と書いてあります。

しかし、私たちは「これが私だ」といって自分で意識の制限を作って狭めてしまっています。

その自分の枠を拡げていくこと、自分という意識の制限を拡げていくことが自己の成長、心の成長です。そして、その最終段階がすべてに拡がった意識状態です。

この図でいえば、下の方向に向かっていくことが意識が拡がっていく成長の方向です。

自分の意識に制限をつけるということは、「自分」と「他人」との区別がある二元の意識であり、何の制限もないすべてに拡がった意識というのは「自」「他」の区別のない一元の意識です。

この図で、斜めの線がありますがこれは境界線です。何の境界線かと言うと「自」と「他」を分ける境界線です。この線の左下を「自分」と思っています。

「これが自分なんだ」というその人自身の認識です。事実・真実とは違います。あくまでもその人が何に自分を同一化させているかということです。

線の右上の方を自分でない「他」と思っています。この「他」というのは人だけでなく、環境も含んでいます。この斜線は「自」と「他」を区別する境界線です。

ところで、境界線があるとそこには何が起こるでしょうか?

例えば、国と国の境界線。つまり、国境では・・・・そう・・・紛争、戦争が起こります。歴史をみればわかりますね。今でもそうです。戦争、紛争が起こると、どうですか?

苦しみが生じますね。そこにいる人たちは苦しみます。

同じように「自分」と「他」を分ける境界線にも紛争が起きます。心の言葉に置き換えれば「葛藤」です。葛藤が生じます。葛藤があると苦しいですね。つまり、境界線があるとそこには必ず苦しみが生じるというわけです。

私たちは、他人との間に問題を生じさせます。人間関係の問題に多くの人は悩んでいます。

図の一番上の横線に「仮面のレベル」と書いてあります。そして、斜線の向こう側には「影」と書かれています。

自分の中にある自分の要素でも、自分の枠外に出したものは「自分」ではなく「他」と認識します。それを「影(自分の受け入れがたい嫌な面で無意識の中に抑圧したもの)」と言います。

本来自分の要素なのですが、自分で受け入れ難いがためにその要素を自分と認めていないのです。

その「影」との間にも紛争(葛藤)が生じ、苦しむことになります。それは、投影という形で他人の中に嫌な要素(影)を見(投げかけ)、嫌悪し、その相手との関係が苦しみとなるというものです。

次の自我のレベルでは、心と身体の二元です。心が自分であり、身体は心である自分の持ち物という感覚です。ここでは、心と身体の相関関係の理解はありません。身体を単に物のように思い扱う段階です。この場合、自分=心=思考=頭=自分と思っています。「頭でっかち」と表現してもいいかもしれません。現代社会では知識優位で思考や頭の中の理論がどうしても優位になりやすく、心身一体感は少なくなっているのではないかと思います。体の声を聞くことなく心身バラバラの状態です。自律神経やホルモン分泌のアンバランス、免疫力の問題等が生じてきます。

次の実存のレベルでは、心身一体の自分は皮膚一枚を境にして外的環境世界と切り離されているという意識です。世界に投げ出された孤独な自分に対する不安、死に対する不安という実存的不安に悩まされる段階です。自分と他人のつながりが感じられず、バラバラです。激しい場合はニヒリズムに陥ることになります。

このように「自」と「他」を分ける境界線があると苦しみが生じるというわけです


https://ameblo.jp/kenkuroki/entry-12389930787.html  【意識のスペクトル論とマインドフルネス】 より

アメリカの思想家ケン・ウィルバーは「インテグラル理論」で著名な人物である。

彼は若干20代で『意識のスペクトル』を出版した。

当時、トランスパーソナル心理学の発展に理論家として大きな影響を与えた。

彼は「人間のパーソナリティが一つの意識の多層的な顕現、もしくは表現である」として

意識のモデルを、

物理学において電磁場が構造的に多層帯域をもつモデルを用いて「意識のスペクトル論」を提唱した。

次の図は四つの主要なレベルに分け意識の階層性を説明したものである。

ボクは若い頃、米国のサンフランシスコの対岸あるバークリーという街に住んでいた。

ウィルバーの『意識のスペクトル』という本を、

バークリーのテレグラフ通りにあるシャンバラという本屋で購入した。

この本を読み終え、自らの臨床心理学の方向がハッキリしたのである。

まず、一番下の(聖)宇宙と書かれた統一意識レベルの線は,宇宙、無限、永遠と呼ばれる一の世界であり、

いかなる二元対立や分裂もなく、世界そのものの状態。

自己と非自己の区別もなく,すなわち統一された意識状態を示している。

これを分かりやすく説明すると,

妊娠中の母胎(胎内宇宙)の中で育っている胎児は,母子一体であり,

「二にして一」の状態であるといえる。

次に、産道(超個的帯域)を通過し,母親の胎内から誕生する乳児は,

二番目の全有機体レベルでは、有機体(心身統合体)と環境(自然)の二元に分化する。

ここでは、時間と空間の中に存在し、身体の皮膚の内と外,自分と他者との境界線が引かれる。

また成長するにつれて個人的な意志が発達していく。

三番目の自我レベルでは自我と身体の二元に分離することで、

「私は身体をもっている」という心身を分けて考えるようになる。

そして、思考する自分が自分であるような錯覚に陥り,自らのアイデンティティを狭めていく。

四番目のペルソナレベルでは,受け入れられる側面をペルソナ(仮面)として,

否定したい自分の側面を影の領域に抑圧する。

このようにして自分のアイデンティティを自我の一部に狭めることにより、自分と思いこむようになる。

この自分と思い込んだ自我を「私」だと認知している。

このように宇宙意識の高次のアイデンティティからいくつかのレベルや帯域をへて、

自意識に集約される狭いアイデンティティ感覚や意識の在りように至る。

 斜めの線は、自己(自分或いは自我,内)と非自己(自分以外,外)を表している。

たとえば仮面と同一化している個人の場合、

抑圧した自分の影の側面、自分の身体、環境としての自然が自分とは関係がないように感じられる。

それらは潜在的に驚異をあたえるものとして映り、

皮膚の内を自己,皮膚の外を非自己として分けている。

自分にとって異質な非自己はすべて敵となり、受け入れることができないのである。

そして,自分のアイデンティティを自我の一部に狭め,

自分と思い込んだペルソナの部分をユングの概念を使うならば「自我」と考えればよい。

私たちの人格の発達は自我を獲得することで,自分というアイデンティティを確立してきた。

統一意識レベルからペルソナレベルへ,図で示せば下から上へと,

自我の発達は自らのペルソナ(仮面)を作ることで完成する。

ウィルバーは各レベルでの人格の発達の過程で,自己と非自己のつながりが切れて,

ペルソナを自分と思い込んだとことに「こころの病」が起こると論じたのである。

このペルソナレベルで作られた世界が私たちの住んでいる「俗世のリアリティ」である。

ウィルバーは「こころの病」を回復させるには,

表層から深層へ,図で示せば上から下へ,

各レベルで排除した非自己と認識している影,身体,環境と「つながる」ことで,

本来的な自己が回復されるという。

この本来的な自己を回復させるには「究極的なリアリティ」を知らねばならない。

左側に記載されたセラピー名は、

各階層ごとに有効な治療法を整理したこともウィルバーの貢献の一つである。

スペクトルの各レベルでの特徴や症状によって有効な流派がある。

ペルソナレベルのカウンセリングにおいて、

自らが影の領域に追い込んだコンプレックスに気づき、表層に出してくることで、

ペルソナと影が異物なもので無くなることを目指しているセラピーといえる。

どのレベルにおいても、意識に変化を起こそうとしている点は変わりない。

自我レベルの精神分析では、無意識の内容を意識化することで、

こころ全体を捉え、仮面と影を再統合することで、健康な自我を取り戻すことを目的としている。

フロイト派は主な動機を性リビドーに求め、アドラー派の分析は優越感への欲求に重点をおいている。

全有機体レベルの人間性心理学においては、

自我と身体を再統合することで、「実存としての私」から有機体へとの広がりを探求している。

有機体レベルと統一意識レベルの間に、トランスパーソナルな帯域がある。

この帯域にユングの分析心理学が位置している。

この帯域は胎内から外界へ、一元から二元へ、

あの世からこの世へ、前世から今世へ、聖から俗へとも表現できる中間地点である。

この中間地点は多層な意識と境界がない微細な身体で成り立っている。

統一意識レベルになると、宗教の領域が重視する「一なる世界」、

有機体と環境を統合し、宇宙との一体感や高次な意識性、至高のアイデンティティを目指している。

この帯域は超個人的、集合的な内容が問題となる。

このスペクトル論は、発達心理的の側面とともに、

臨床の場において現れてくる症状、問題や葛藤がどのレベルから生じてくるのかが分かる。

臨床心理学、ビジネスの領域で大流行の「マインドフルネス」について、

この「意識のスペクトル論」を用いれば、分かりやすい。

先ほど、私たちが生まれて、成長するプロセスで、

成人になり「ペルソナ」が自分だと認知したところに「病の原因がある」と述べた。

マインドフルネスは、ペルソナレベル、ペルソナと影の領域が現象として脳裏に浮かぶ。

雑念のことだ。

この雑念とは、mind wandering(次々と考える)、chttering(止めどなく考える)こと。

この「今・ここ」で生きているのに、

過去のこと、未来のことを考えて不安になる習性が人間にある。

仏教に「止観」という言葉がある。

この雑念を中断し「止」めることが大切だ。

その雑念から逃れるには、自我レベルの身体レベルに意識を向けること。

止める方法として、呼吸に集中する。これを「サマタ瞑想」という・

次に、「観」、対象をありのままに観察する「ビィパッサナー瞑想」がある。

この方法論がマインドフルネスだ。

そして、自我と身体を統合する。

さらに進めば、私と環境が一つになる意識状態と身体状態になる。

「身心一如」や「不二身心」と言われる状態を意味している。

「一」なる心身状態のことである。