景美人權文化園區。白色テロ時代の拘置所。
12月10日は、世界人権デー(せかいじんけんデー)。
今日は、台湾で人権について考えさせられる場所をご紹介しようと思う。
「景美人權文化園區」は、國家人權博物館の支所のひとつ。ここは、二二八事件を発端とする、台湾における白色恐怖(白色テロ)時代に拘置所として使われていた元軍法学校の跡。
白色恐怖とは、国民党政府によって、反政府的とみなされた知識人や財界人、一般人にいたるまでが弾圧された時代をいう。(詳しくは、ぜひ皆さんご自身で、資料を紐解いてみていただきたい)
公式サイトの紹介によると、軍法学校として建設されたのは白色恐怖時代にあたる1957年。翌年には拘置所としても使われるようになり、軍人のほか、一般人の重罪犯、政治犯などを拘置するようになった。その後、1991年の治安維持法に当たる法律「懲治叛亂條例」の廃止と、1992年の刑法の改正により、白色恐怖の時代は幕を下ろすことになった。
時代は流れて2002年には、元拘置所であった建物は歴史建築に認定され、同時に人権文化園区として運営を開始、現在に至るまで、緑島の人権博物館とともに、人権が蹂躙された時代の資料の保存、研究、公開を行っている。
がぁこ初訪問は2012年2月のこと。
元々学校だっただけに、ぱっと見、敷地内の施設の外観は、どこと無く素朴で朗らかな雰囲気もある。
軍法学校の宿舎跡などは、普通の団地のようだ。
学校の講堂も残されている。
園内には、清潔で綺麗な化粧室も整備されている。
学校の校舎だった建物も、どことなく可愛らしい雰囲気だ。
しかし、張り巡らされた鉄条網を見るにいたり、暗い歴史が胸に迫ってくる。
建物内は、当時の様子が再現され、また一部は当時のままに残され、拘置された人々がどのように過ごしていたのかを知ることができる。
とてもショックだったのが、入り口すぐそばに置いてあった鉄の足かせ。手に取ると、ズシリと重かった。
取調べを行っていたのだろうか。壁の手錠や足かせが恐ろしい。
接見室の、牢屋の格子越しの黒電話。どんな気持ちだろうか。
中の人と、外の人で会話ができるようになっていたが、ここで、本当に、拘置された人たちの悲しい物語が繰り広げられていたと思うと、あまり乗り気はしなかった。
医師のいる医務室。薬が足りず、見かねて個人的に薬を持参する医師もいたらしい。
食事を用意する厨房なども再現されていた。
廊下の突き当りを曲がったところから、格子で仕切られた拘置所になっていた。
前に立った瞬間、冷たい風が吹いたように感じて、背筋が寒くなった。
中は一部、使用された当時のままに残されていた。
どんな生活だったのか、想像できない。
いくつかの部屋は、展示スペースに改装され、当時ここで拘留されていた人たちについて、どのような人だったのか、どんな容疑で捕まったのか、その後どうなったのかなどが説明されていた。
政治犯として拘留された人の結婚写真。
手紙などの資料も。
拘置所の牢屋を抜けると、中庭があった。
バスケットボールのコートと青い空の爽やかな感じが、さっきまで見てきたものとあまりにも差があって、また悲しくなった。
政治犯とされた人たちは、どんな思いでこの空を見上げたんだろうか。
非常に重苦しい気持ちになった訪問だったが、いままであまり深く知ることの無かった台湾の歴史を学ぶことができた、非常に意義深い時間だった。運よく、定時のボランティアガイドツアーに参加できたのも、理解を深める助けとなった。
見学を終えて。戦後に国民党が行った弾圧の歴史の舞台が民進党がはじめて政権をとった時代に歴史を語りつぐ博物館の一部となり、2012年当時はまた国民党政権の時代だったが、きちんと運営が引き継がれ、国民が負の歴史も歴史の一部としてしっかりと自らの歴史として見つめているのが感じられた。これはとても、すごいことなんじゃないだろうか。
台湾について、観光以外のことも深く知りたい方に、心から、訪問をおすすめしたい。
景美人權文化園區
住所:新北市新店區復興路131號
電話:02-22182438
入場:無料
定時ガイド:火曜から日曜の朝10:30および14:30の二回(中国語のみ)。
希望者は、遊客服務中心(インフォメーションセンター)に集合のこと。
音声ガイド:中、英、日、客、台の五種類の言語の音声ガイドの貸し出しあり。
希望者は身分証持参の上、ガイド事務所一階サービスカウンターへ。
APPガイド:iOS系統のAPPで中、英、日三ヶ国語のガイドがダウンロード可。
App Store「國家人權博物館」または「National Human Rights Museum」
交通:MRT大坪林駅から、徒歩15分ほど