多様性と希望を象徴するメタファー
https://www.ebayama.jp/merumaga/20170301.html 【虹は何色?】 より
みなさんは最近虹を見ましたか?空を彩る虹を見つけると、なんだかうれしく思ってしまいます。虹と言えば雨上がりの空に浮かぶアーチ状の形のものを思い浮かべるかと思いますが、滝や噴水の水しぶき、花壇にシャワーで水やりをするときなどにも現れることがあります。
さて、どうして虹は様々な色に見えるのでしょうか。雨上がりの空には小さな水滴がたくさん浮かんでいます。太陽の光は赤、青、緑など様々な色の光が混ざっていますが、太陽の光が水滴に当たると、水滴の中で屈折・反射してから私たちの目に届きます。このとき光がいろいろな色に分かれ、アーチの内側が紫、外側が赤となり、虹が見えるようになります。
ところで、虹の色の数というといくつを思い浮かべますか?よく聞くのは赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色ではないかと思います。虹の色は連続的に変化しているので、実際に虹を見た時には7色には見えない場合もよくあり、個人差もあります。理科年表では、赤・橙・黄・緑・青・紫の6色が可視光域に表記されていますが、虹の色数のとらえ方は国や文化、時代によっても様々です。たとえばアメリカなどでは6色、ドイツなどでは5色というのが一般的なようです。
虹を最初に7色と言ったのは、万有引力の法則の発見で有名なニュートン(1642年-1727)です。当時イギリスでは、虹は赤・黄・緑・青・菫(すみれ)の5色と考えられていました。しかし、ニュートンは虹の色は中間色も含めて連続的に変化しているとし、基本の5色に藍と橙を追加して7色としました。実は、音のオクターブ(ドレミファソラシ)理論の「7」音と一致させたいという意図があったのではないかといわれています。
日本では、江戸時代の終わりごろにニュートンの光についての研究が西洋から伝わり、次第に虹を7色とする考え方が定着したものと考えられています。日本の文献の中で最初に7色と記載したのは、江戸時代末期の文献「気海観瀾(きかいかんらん)」(1827年)です。その後、明治時代になると小学校の教科書などにも7色と記載されるようになりました。
虹は雨上がりの空、太陽を背にして立った方向に現れます。虹が出た際には、何色に見えるかぜひ目をこらして見てみてください。
虹の色は七色ではなく無限!そして集光すれば無色透明!!
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakatoshihide/20140607-00036132/ 【虹の彼方に~多様性とレインボウ】 より
■虹という名前
僕は最近、50才にして父親となった。子どもの名前をどうしようかと妻とずっと考えてきたのだが、結局「虹」を含んだものにすることに決めた。
なぜ虹=レインボウかというと、それはもちろん「多様性」を意味するからだ。僕は、大切にしている価値がいろいろあるが、多様性はそのなかでも最も大切なものかもしれない。
ほかには、「自由」もある。
自由も何ごとにも代えがたい価値ではあるが、同時に非常に厳しい意味を持った価値でもある。
自由のために人は命を落とすこともあれば、自由という名目のもとに貧富の差や戦争が起きることもある。自由は広い意味を持った価値であり、そこには希望と同時に闘争や敗北といった意味も含まれる。
新しい命には、「自由」は厳しすぎる。
■マンデラとセクシュアル・マイノリティ
僕の人生のテーマとしては、「差別のない世界」というものもある。それは言うのは簡単ではあるが、実践し尽くすということはそれほど簡単なことではない。
毎日の自分の出来事、毎日の自分の実践が、少しでも差別のない世界の実現に寄与すればいいなあと思って、僕は生きている。
ふだんは冗談ばかり言っているものの、こうしたことに関しては真剣に生きているつもりだ(それは周囲にはなかなかうまく伝わらないが)。
差別がないということは、人々の多様性が徹底的に尊重されているということだ。
ネルソン・マンデラであれば、自分を差別する人々の価値や言語(「アフリカーンス」)を学ぶという行動で示した。
もうひとつ、レインボウが使われるセクシュアル・マイノリティ(特にゲイ)であれば、それまで黒人差別反対の意味合いが強かった虹の旗を応用したという。
■ブリンス、オズの魔法使い、石垣島
僕が印象深いのは、プリンスの「レインボウ・チルドレン」というアルバムだ。
プリンスの潔癖主義のせいか、YouTubeにビデオがないのが残念だが、2000年代初頭にプチ復活を遂げたアルバムタイトルでもある。
初期の傑作群ほど際立った名曲はないものの、繰り返し繰り返し聞いてしまうアルバムだった。
そこでプリンスは、いつもの「多様性」メッセージを、いつも以上にダイレクトに伝えていたような記憶がある。
以上以外にも、当然「オーバー・ザ・レインボウ」の曲調の懐かしさや、高橋源一郎の「虹の彼方に」なんていう変な小説もあった。
なによりも、たとえば虹は、僕が高校生で最も落ち込んでいた頃、学校が終わった後自転車のペダルを漕いでいると、目の前に突然現れて僕の暗い心を癒してくれたという記憶がある。
また、この前、内閣府(昨年僕は青少年関係の長い名前の委員会の委員だった)の仕事で石垣島に行った時、飛行機から虹を見下ろし、これから続くであろう格差社会について思いを巡らした印象的な日もあった。
そんな、多様性と希望を全面的に象徴するメタファーである虹という名称を、僕の記念すべき出来事に関して、使うことにしたのです。★