「囲碁と武将たち」~豊臣秀吉編~
信長の次はやはりこの人。豊臣秀吉です。
戦国のゲーム好きにとっては、実は「豊臣」という姓には馴染みがありません。
木下藤吉郎→羽柴秀吉→豊臣秀吉
と名前が変わるのですが、豊臣姓はもう天下統一して関白になるくらいの晩年の話。そのため天下統一までを競うゲームではほとんど木下藤吉郎か羽柴秀吉になっています。個人的には羽柴秀吉がしっくりきますね。
ま、それはともかく。秀吉と囲碁とのつながりですが・・
戦国一の囲碁好き
だったと思われます。あまり有名なエピソードこそ少ないのですが、有名な関ケ原で敗れた石田三成や、軍師である黒田官兵衛を始めとした秀吉の側近の多くが囲碁を嗜みました。
以前紹介した真田昌幸も秀吉の家臣ではないものの、秀吉の大のお気に入りでした。これは皆秀吉に付き合って碁をやることになった感じが想像に難くありません。
実際、武将の嗜みとして囲碁を奨励して家臣にやらせていた記録もあるようです。信長の回で紹介した本因坊算砂も引き続き召し抱え、囲碁の御前試合を開くなど、かなり熱心だった節があります。
ある時は囲碁に熱中しすぎて、外交の使者が来た時に「今囲碁打ってるから終わるまで待たせとけ」と言って囲碁を打っていた。というエピソードもあるようです。
囲碁の強さに関しては、信長と同じく算砂に五子置いて打っていたらしいです。信長と同じ、というのがいかにも世間体がうかがえます。
ここからは私の想像ですが、秀吉は黄金の茶室を作ったり大規模な花見をしたり、目立ちたがりの派手好きで自己顕示欲が強い、というイメージがありますが、実際そうだったと思います。
多分信長より強かったら、信長が死んだ後置き石を少なくして俺のが強いアピールをするはず。(死ぬ前は主を立てるはず)
だけどそれをしないということは・・・「信長より弱いけど見栄を張って信長と同じ置き石にした」のではないかと個人的には推察します。その方が秀吉っぽい感じがします。
だとしたら家来や算砂もご機嫌取りに苦労したでしょうねぇー。。
あ、ちなみに私の指導碁はもちろん指導碁なので加減はしてますが、ご機嫌取りとは少し違います。皆さんの上達に何が良いかを考えて、どこを加減するかを考えてやっています。
例えば石を攻めるのが苦手な人には敢えて無理な侵入をして攻めさせるとか、弱い場所を守るのが苦手な人にはあえて「このへん怪しいよー」という手つきや目線を駆使したり。普通に言うことも多々ありますが(笑)
あまり加減してほしくないタイプの人には加減しません。ちなみに手加減なしが一番私たちからすると楽なのは確かです。どこを加減するかとか考えなくて良いので。そのため指導碁で加減できないタイプの先生は結構います。
なのでなるべく加減してほしい方、是非ご贔屓にしていただければと思います。
秀吉さんが生きてれば、きっと良きお客様だったのになぁ。