あんなにキレイなのに、虹って古来では不吉の象徴だったの?
https://matome.naver.jp/odai/2139526962336440001 【あんなにキレイなのに、虹って古来では不吉の象徴だったの?】 より
出先で雨上がりの空に虹がキレイに架かっているのを見つけたりすると、「ちょっとラッキー♪」と思うことも
こう感じる人は多いのではないでしょうか。雨上がり虹が見れると嬉しくなっちゃいますよね
キレイで幸せな気分になる虹が不吉の象徴だった頃も
世界中で色々な言い伝えがある虹だけど、当まとめでは日本での価値観について。
時代が変われば価値も変わる!?
■古代日本では、不吉の象徴とされていた。
■中世日本では、市をたてるきっかけとされていた。
■現代では、自然現象の一つと理解され、好まれている。
虹の価値の時代による変遷の前に、「虹」という字の構造や意味にも注目したい。
漢字の「虹」も、「虫」偏は【蛇】の形を描いたもの。それに【貫く・横たわる】という「工」がついたのが「虹」という字【天空を貫く大蛇】を表している
空を貫くなにか、といった発想が「虹」「rainbow」表記になったのだろう。
語源や由来は諸説あるらしい。
『万葉集』では、虹は「ヌジ」と書かれていました
「ヌジ」という言葉は、蛇類を表す古語ナギ(ナジ)に通じるという説も
古代中国では「虹」を“天に住む大蛇や竜”と考えていたよう
漢字は中国由来が多いので、少なからず影響を受けているのではないかと。また文化も輸入物が多かった。
「虹=蛇」という考え方は、全国のみならず全世界的に見られる考え方でもあります。
虹を恐ろしい霊物に例えたのであろうと言う説 他にも諸説あってどうも特定は難しいよう
天文学や科学の発展していない古代ならではの畏れでしょうか。
古代日本では、不吉の象徴
日本神話ではイザナギとイザナミが虹を渡って下界に来た
イザナギとイザナミは古事記日本書紀に描かれた神々。虹は天上から下界への橋としての役目。
目に見えない世界と目に見える世界を繋ぐもの象徴としての橋、橋=虹ならば、能の舞台装置で橋懸(はしがかり)というのは、まさに能の舞台があの世とこの世をつなぐ装置であることを意味
古代中国では「虹」を“天に住む大蛇や竜”と
中国からの伝承で蛇という説が浸透したかは、分からないが、影響を受けたのと解明されるすべのない超常現象への恐れから、不吉な象徴となったのだろう。人は分からないものへ不安を抱く。
「伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹〈のじ〉のあらはろまでもさ寝をさ寝てば」
(やさかの大きな堰堤に立つ虹のように、人目につくほどあなたと共寝さえできれば、なにも悔いることはない)
万葉東歌の虹の歌 - 高崎新風土記「私の心の風景」 - 高崎のニュースサイト 高崎新聞
この万葉東歌3414は、不吉な予兆をする虹を踏まえ、悲壮な思いで恋の成就を「虹」に祈る、作者のこころが感じられる歌、とのこと
不吉の象徴から、風変りな風習に変化? 「虹の立ったところに、市が立つ」
平安時代から戦国時代くらいまでこんな慣習があったそうだ。
中世において通常、市というのは、5日、10日、と決まった日にちにたてるか、神社寺屋敷の前でたてるか、決まりがあったものだが、虹が出ると市をたてるというのは不確定な要素が多すぎて、不思議な事象だといわざるを得ない。
長元三年(1030)七月六日に、関白ならびに東宮家に虹が立った。世俗の説によって、売買のことがおこなわれた。「日本紀略」
保延元年(一一三五) 六月八日、中宮庁前に市が立った。虹の立ったことが原因である。「百錬抄」
寛治三年(1089)五月三〇日、上皇六条中院前の池に虹が立った。市を立てるべきだという議論がもちあがったが、公所にはそういう先例がないということで、沙汰やみになった。「百錬抄」
なぜ虹の立つところに市が立てられなくてはならないと考えられたか。
虹は古来「天をわたる」「天を経る」橋と考えられていたのであり、虹が立てばその橋を渡って天神・精霊などの神々が降りてくる。
立てられた市での売買などの交換行為そのものが神々を喜ばせ、祀ることに通ずるという観念から、商いが行われた。
今では美しいもの幸福の象徴のような存在に