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処暑から白露へと向かうころ

2020.08.26 23:00


わたしが暮らす函館は、日中の日差しはまだまだ強いものの、ひんやりとした風の心地よさに秋の気配を感じるようになってきました。

夜に窓を開け放していると、ちょっと肌寒く感じる日も。

北海道の短い夏はいつも駆け足で通り過ぎていってしまいます。


多読断ち

さて、実はわたし、多読暦15年目にして初めて、ちゃんとした(?) "停滞" を体験したようなんです。


読みたい気持ちはあるのに読もうとすると眠たくなる。

他のことにすぐ気を取られてしまう。

心がふわふわと落ち着かない…

絵本ならと手に取ってみてもページの上を視線がさまようだけ。

多読仲間のブックトークを聞いても、以前のように心が踊らない。

頭の中に文字という記号が浮かんで埋め尽くしていくような感じ…


本のあちらこちらをつまみ読みしては投げ出す日々が続きました。


難しいわけでもないし意味は理解できるのになぜか心に入ってこない。

映像が浮かばない。声が聴こえない。物語を全然愉しめない…


「もしかして、他のメンバーが書いてた"字面読み"の状態ってこんな感じ?」

「これって…もしかして、"停滞"?」


ちょっと不安になりかけていたときに思い出したことばが、"がんばらない多読"でした。


「読解力」とか意識しすぎて、ちょっと無理してがんばってたかも…と気付き、よし、いっそのことすっぱり「多読断ち」しよう!英語から離れて別のこと楽しんじゃえ!と気持ちを切り替え、洋書を手に取らずに過ごすことにしました。


耳を澄ます

英語多読の世界から遠ざかるのとほぼ同時くらいに、SNSを通じて偶然出会ってしまったのが、"ソウルサウンドライアー"です。


全国でも数えるほどしかいないライアー職人が函館にいらっしゃると知って、函館山の麓のライアー工房AZUSAYAさんを訪れたのは、なんと!わたしの誕生日。実は多読を始めたのも15年前の誕生日でした。

もしかしてこれは…なんて、ちょっと運命を感じてしまったりして。


ジブリの『千と千尋の神隠し』の主題歌を歌った木村弓さんが奏でていたライアーを覚えている方も多いと思います。このライアーはそれとは違って共鳴箱がなく、一枚板を削り出して作るどっしりとしたもの。

その深い音色と木を通して伝わってくる振動の素晴らしさに一目惚れして、その場で作ることを決めてしまいました。


その制作期間のたのしかったこと!

木肌の手触り、木目の流れ、木を削るときの音、ふわっと漂う木の香り、

彫る前と後の木の表面の温度の違い、

ストーブの中で薪がはぜる音、

木が燃える匂い、火が見えることの暖かさ、風の音、雨の音…


工房の窓からは大好きな函館の港の風景が広がり、時間の経過とともに変わる空の色、遠くの山々をぼんやり眺めていると、目や頭の疲れが消えていくよう…


ひと彫りひと彫り、木の声に耳を澄まし木と対話しながら丁寧に彫りすすめていきます。

そうするうちに、わたし自身の内側も削られて、少しずつ何かが開かれていくような感覚でした。


キラキラ光る弦を張り、丁寧に調弦して、初めて奏でたときの、ちょっと不安定な危なっかしい音。照れくさいような誇らしいような複雑な気持ち…。


ライアーを奏でるとき、わたしのような初心者は、ついつい大きく響かせたくなりますが、師匠は一音一音をよく聴きなさいと何度も言います。そして、音が聴こえている間以上に、聴こえない音 "静寂" に耳を澄ますことが大切なのよ、と。



"To hear, one must be silent."


A Wizard of Earthsea に登場する師匠 Ogion が幼い Ged に言った言葉が思い出されます。


目を凝らす

ライアーに導かれての音との出会いは、わたしの世界を大きく揺り動かしたようです。

それ以降、急速に、五感の世界に意識が向くようになり、心惹かれるようになっていきました。


たとえば、6月からオンライン受講させてもらえることになった「大人の幾何学アート」。

コンパスや定規を使ってさまざまな図形を描いたり工作したりする講座です。


先月のレッスンでは、百合の花の写真を参考にしながら幾何学アートを描きました。


百合の花の写真または本物の百合の花を、たっぷり時間をかけて隅から隅まで丁寧に見て、気づいたことを1人ずつ言っていきます。


百合の花を、目を凝らしてよーく見たことはありますか?

花びらだと思いこんでいたうちの3枚は萼だったこと、雌しべの形がハートだったこと、色合い、花びらの先の形、中央にあらわれる線、雄しべの数、蕾の様子、葉のつき方、エネルギーの流れる方向…


目を閉じても百合の花が見えるくらいよく見たあと、ようやく基本となる図を描いていきます。

描き終えたら、思い思いに色鉛筆で色を塗り始めます。

先生が共有画面に出してくださった写真の百合はピンクでしたが、何色を塗るかは自由。

色鉛筆を動かす音と、画面の向こう側の人々の気配を感じながら、黙々と自分の色を塗る、とても静かな時間です。


描き終えた作品をシェアする時間がこれまた楽しいのです。同じ図なのに、選んだ色・塗り方によって人それぞれの作品が出来上がります。


色を塗るというと、わたしは花の輪郭の中を塗りつぶして色をつけることしか思いつきませんでしたが、あえて花の部分を残して周りだけ色を塗り、真っ白な花を浮き上がらせる方法で描いた方がいらっしゃいました。その逆転の発想に感心すると同時に、背景からふわりと浮かび上がった白百合の美しさには思わず感嘆のため息がもれました。


でも、大事なことは作品の優劣ではありません。手を動かして図を描き、色をつけていく過程で何を思ったか、描いている間の自分の心の動きを見つめ感じることなのです。


Mikkie Unzipped!

そうこうしているうちに短い夏休みが終わり、いつもの生活が戻ってきたある日のこと。Kindleのライブラリを眺めていてふと目に止まった本があり、そのままなんとなく読み始めました。


「あれ…?読めてる…?」


girlishな雰囲気がどうも苦手で、今まで何度も投げてきたのに…

なぜか読めてる‼︎


以前より話にすっと入っていける。

眠くならない。むしろ頭がスッキリしてくる。

他のことに気を取られなくてすっと集中モードに入れる。

もしかして映像化ラクになってる?

以前と違って浮かんだ図や絵を描きたくなる。色もつけたい…

ついでに、なんか脳内ツッコミやたらうるさくなったような?(苦笑)


………

こうして、春から始まった"停滞体験"は唐突に終わりを告げました。


昨夜は Natalie Babbitt の Tuck Everlasting という本を読みながら、人生とは、生きるとは…など、人生の循環する性質なんていう壮大なテーマについて思い巡らしていました。



多読の "多" ってなんだろう?多読の"読"ってなんだろう?

ってよく考えることがあります。


多読の"多"は、普通は冊数や語数を意味するのかもしれませんが、わたしは、沢山の"読み方"があるってことじゃないかなと思っています。

それから、多読を通じて繋がっている仲間たちの広がり、とか。


多読の"読"という字も、単に文字を読むということだけではなくて、行間を読むとか心を読むとか空気を読むとか未来を読むとか、表面には見えない深いところを想像する "読" がいろいろありそうです。


"多量"に読む多読から、"多様"な読み方で愉しむ多読へ…


横方向へ広がり続けながらも、縦方向に深化していけたら、もっとおもしろくなるかも!なんて思ったら、なんだかワクワクしてきました。


"読み方は人の数だけさまざま"

本を媒介にして、わたしはこんな読み方したよ、こんなこと考えたよ、思い出したよ、こんなイメージが浮かんだよ、こんなアイディアを思いついたよ。あなたは?って、みんなでもっともっと沢山おしゃべりできたらいいですね♪


ではでは、これからも、

Happy  Reading ♪


文:MIKI

北海道 函館