静かなる武装解除
ここ半年くらいで、心境の変化が著しい、のだと思う。
ひとつひとつ、鎧を脱いでいくような、もやっとした暖かさに晒されていく日々が続く。
何がどう変わったか、細部にわたる言語化は難しいけれど、なんとなく分かってきた。
それは依然書いた「心のアンカー」の時の感性の改革もそうだし、そもそも生きていること自体が常に変化の繰り返しなのだから、一部の変化を微分的にクローズアップして求めた方向性は、全体としての方向とは異なるかも知れないけれど、今一度自分が見えているもの、自分の好きな物を、何故惹かれるのか、どこに惹かれるのかをじっくり考えてみないとなんだか未消化の物を積み残しているようで気持ちが悪い・・・。
ここまでで既にいつもの感じとは異なる雰囲気の文章になり始めている。不思議なものである。
さてさて、ではここ半年で自分の内面的な変化をもたらしたものとは何か。
ヨガである。
大学時代からの友人が彼女の大切な場であるヨガ教室を紹介してくれたのが今年の春
学生時代から存在は聞いていた。おそらく自分の中で経験の蓄積による内面の準備が必要だったのだろう。
しかし学生時代の自分は今よりも更になけなしの感性を有り余るロジックで料理するタイプの人だったので、自分と異なるイデオロギー体系を受け入れる準備はまるで出来ていなかった。
そしてその傾向は読書のすすめと出会い更に加速していき、観念の世界で自分の中に圧倒的な芯を創り上げる方向に進んでいく。
どんなに優位な相手と対峙しようとも、折れないコアを鍛え上げる。目上だろうが関係ない。より崇高な物を自分の中に掲げている方が人間的に「エラい」のだという自信が確立された。
そうやって身につけた「強さ」は信念を貫き大切な物事を成し遂げられるよう、自分の為にと手渡されたもののはずだったのに、人に強要したり、そのものさしを人を批判するために使うようになっていった。
ものを考えない人、本を読まない人を侮蔑する観念もまた同時に育っていったのである。
本来武装は自分の為にある。自衛のために自らを鍛え上げる発想は重要だ。歴史の風化に耐えた本物の思想で、ぶれない方向性を築き上げる。
思ったことを言ったら炎上する世の中に於いては、次元の違う方位磁針が無くては難破する。
少し出る杭になったら足を引っ張られる民度の社会で生き抜くには確かな強さを要する。
しかし一方で、武装は分離の思想である。
敵を認識するから、自分を守ろうとする発想になる。味方が居るのは敵が居るからである。
センジュ出版の本は、「弱い」サイドを切り捨てない方向性を教えてくれた。吉満さん自身がそういう、陰陽和合した世界の人である。
そして昨年、まさに自分は弱さを切り捨てようとすればするほど苦しく、自分の築き上げてきた「強さ」の方向違いに気付かされることになる。
強さにはやさしさが必要だ。そしてやさしさには弱さが付きまとう。
そしてやさしさには実行への推進力も必要だ。推進力は強さに伴う。
センジュ出版のテーマ、「しずけさとユーモア」は自分に、弱さとやさしさ、強さと推進力を兼ね備えた、そういう存在への進化の可能性を投げかけてくれた。
そうして各々の半球がある程度の大きさに育った頃、もう一声と自分に開かれた道が友人からのヨガへの誘いだった。
このヨガ教室、どうやら世間一般のヨガ教室とはだいぶ異なるようで、ポーズは重要ではなく、感覚を取り戻してヨガ哲学を教わる空間としてある。
そうして身体の感覚に素直になっていくにつれて、いくつかの変化が生まれてきた。
以前のように無闇矢鱈と酒を欲しなくなった。コミュニケーションの手段として飲むときは飲むが、自分が喋りやすくなるため、ストレスを押し流すためにはアルコールを必要としなくなった。
飲まなくても僕は十分自由だし、ストレスから身を守る必要もほとんど無くなっている。
本を読むことは自分にとって武装の意味合いがあったけれど、その必要はなくなった。
好奇心をドライブするものとしては、未だに手放しはしないけれど。
瞑想することで、焼け付いた脳を冷ますことが出来るようになった。今風の言葉だと、チルってる感じだ。
失敗もかなり笑えるようになった。プライドを守る必要がなくなったから。
それでも自分の自由度はまだ30%位である。氷山の大きな塊がまだ水面下に控えている。
けれど、順調に解放していくんだろうな。という漠然とした安心感が、今はある。
年の近い世代で、エコビレッジを作りたい、とか、仕事もそこそこに早めに田舎に引っ越したい、とか、夢の内容がより個人の生活に焦点を当てたものになってきているのは面白い傾向だ。
コロナのお陰で、今まで通りの価値観に縛られなくて良いよー、って事に気づくことが出来た。
あんまり恐れなくて良いんじゃないかな。無防備では流石に心配かもしれないけれど。
それより、何教えてくれようとしてるのかな?って身の回りにある、なんとなく好きなもの、何で好きなのか片っ端から徹底的に考え直してみたら実はヒントの山だったりするかも知れない。
好きな曲の歌詞、改めて読んでみるとか。
次の時代へ導くメッセージは既に届いているのだと、最近思う。