吉と出るか、吉大と出るか。
我が家は休日の度に県外へ出かけるアクティブ家族だった。
と言っても、そもそも休日が少ないのだが・・・
そんな我が家が、だ。
コロナで騒がれるようになってからというもの、当然ながら一歩も県外へ出ることは無くなった。
しかし、今となっては週末の 半沢直樹と本麒麟 さえあれば「生きてて良かった~」という休日を過ごせるようになってしまった。
半年に一度は湘南の海を見たかった私が、だ。
皆さんは、どうだろうか?
県内の良いところを探し、休日を楽しめているだろうか?
また新たな楽しみやライフスタイルを発見できただろうか?
目には見えないストレスの塊が、人の心を焦らせ、判断を鈍らせ、自分の弱い部分を露出させられ、他人への態度を不適切なものにしてしまってはいないだろうか。
息苦しくなる前に、ぜひ楽しみを見つけてほしい。
少なくとも一年に4回は楽しみを作ろう。
春や夏は比較的いい。
秋や冬にも楽しみを持とう。
そして歳を重ねることや時間が経過することがポジティブに感じられるような仕組みを作ろう。
日頃多くの方の相談業務を担当させて頂くが、人生を戦略的に組み立て、思い通りの絵を描く能力に当然ながらバラツキを感じ、この「自分が快適に過ごすための環境セット」が改めて大切であることを痛感している。
このコロナによって私たちの生活環境は大きく様変わりしてしまったが、もうそろそろ慣れ、馴染むべき時期がやってきている。
身内の不幸を除き 3ヵ月で適応できない人は永遠に適応できない人なのだから。
2010年以降というもの「勉強だけできてもダメよね」というフレーズが大人たちの中でも流通するようになった。
勉強以外の何かとは一体何なのか?
そのうちの一つが、こういった事態への対応力と、そんな中でも実際のメンタルを平静に保つヘルシーな発想である。
現代人に必要な要素を現代という風が用意してくれたまでである。
コロナを肯定することは先ずないが、変化への免疫力というテーマを現代人に突き付けるには良いジャブだったかもしれない。
ここからアッパー・フック・ストレートが飛んでくることなど言うまでもない。
では私たちが今後 身に付けおくと重宝する考え方とは一体何だろうか。。
①それは、楽しみを見つける能力である。
なぜなら、楽しみが いとも簡単に奪われかねない時代だからだ。
その能力が高い奴はどこへ行っても人生を面白がり、些細な出来事をおかずにすることができる。
幼少期の遊びが如何に重要か。
②そして決まりきった答えを探す学習を極力減らしていくことも大切かもしれない。
答えを探しても、答え自体(正・悪)が変化することが起きるからである。
正しさはGoogleに任せ、今現在の最適解は経験と臭覚ではじき出そう。
そして最後に。
③ちゃんと投資をすることも忘れてはいけない。
それは自分の成長のために時間を費やすという投資もだが、事業主であれば お金でお金を作るという投資もだ。
人生、必ず浮き沈みがある。
上と下が必ずある。
その行き来を何度も繰り返したら、下のラインの統計を出す。
そして下のラインでもクリアできるギャンブルを必ず行う。
私の今手掛けている全ての事業が、その下のラインでできるチャレンジ(投資)である。
これを怠れば、下り行きのエスカレーターに乗る私たちは、着実に下方修正を繰り返すことになる。
楽しみを見つける能力が高く、決まりきった答えを信じ込まず常に変化と生き、ちゃんと身の丈に合ったギャンブルをすることができる人。
その人は、吉と出るか大吉と出るかを待つ人とも言い換えられる。
どっちに転んでも、うまくいく気がして成らない。
只今、Rental Salon Siro は足場が組まれ、棟上げ段階に入ろうとしている。