オードリー・タン「台湾の大臣は、35歳以下の若手にアドバイスをもらう」→政治を変える方法がすごい【インタビュー全文:その②】
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台湾のデジタル担当大臣 オードリー・タンさんがハフポストLIVE で語ったこと。「みんながマイノリティーになりうるという感覚を」「誰も取り残さないテクノロジー」のあり方とはーー? 全4回にわたってお伝えします
タンさんは、データを駆使し、誰にとっても透明性のある政治をめざして来た。台湾では、35歳以下のソーシャルイノベーターをリバースメンターに任命する制度があり、新しい価値観を既存政府に流し入れている。
若い人が活躍できる社会、どうすれば作れますか?
――やる気や能力がある若い人たちが、年齢に関係なく登用される社会にするためには、私たちはまず何ができるでしょうか?
タン:デジタル担当大臣になる前、私は前デジタル大臣・蔡玉玲のもとで1年半、リバースメンターシップという制度を利用して働いていました。
リバースメンターシップとは、内閣の大臣たちが35歳以下のソーシャルイノベーターを、リバースメンターに任命する制度です。リバースメンターが大臣に新しい方向へと導く一方で、大臣たちは若い人たちに政府がどういう仕事をするのかを教えます。
私がデジタル担当大臣になった時にはすでに35歳をすぎていましたので、自分で自身のリバースメンターにはなれませんでしたが、今は私もリバースメンターと一緒に働いています。
20人以上のリバースメンターと20人以上のインターン、合わせて40人以上の人たちが、毎年私たちに社会の方向性や、向かうべき道を示してくれます。
ですからまず最初に、変えたいと思っている社会でリバースメンターのような制度を取り入れてみるのはどうでしょう。もしそういったシステムがなければ、ご自身で提唱してもいいかもしれませんね。
――リバースメンターを導入するとき、周りからどんな反応がありましたか?反対はなかったのでしょうか?
タン: 私1人がリバースメンターだったわけではなく、制度として導入されていました。
私が蔡玉玲大臣のリバースメンターだった時には、他にも何人かの製造業コミュニティの人たちがリバースメンターをしており、彼らが台湾の製造業コミュニティマップ「vMaker」を作りました。
その間に、私たちは「vTaiwan(編注:g0vが作成した政策立案プラットフォーム。法案や規制について利害関係者が意見を交わし、内容に反映させる)」に取り組みました。このことが、規制を後回しにしないという姿勢を示せたと思います。
例えば、在宅勤務や、遠隔治療、自宅学習、製造ムーブメントのような分野で、規制が時代遅れで理解できないものであれば、人々は規制を全て無視するようになるでしょう。
それは民主主義社会にとって危険です。人々が法律を習慣的に破るようになってしまうからです。
しかし人々は、私たちがやっていたことについて「法律と規制は時代に即している」と感じていたと思います。
アルゴリズムやコードをきちんと伝えることで、適切な規制ができます。それは、市民社会がまず基準を作り、その基準が市場や規約を作り、規約が法律になるという、先ほど述べたリバース・プロキュアメントです。
この流れが予測可能であればあるほど、既存の政治システムと社会との摩擦は少なくなり、政治システムは実際の社会と融合するでしょう。
全ての人がプログラミングを学ぶべきでしょうか?
――世界中の多くの教育システムで、プログラミングやそのほかの技術スキルは選択科目で、必修科目ではありません。プログラミングを必修科目にすべきだと思われますか?
タン: 私は、法律や規則や人権と同じように、プログラミングも誰もが学んだ方がいいものだと思います。
すべての人が法律を学ぶことは「小学生全員が、将来政治家になって法律を作る」という意味ではありません。それは「法律のシステムや人権がどのように機能し、法的状況で権利がどのように守るられるかを知るために必要」ということです。プログラミングも同じです。
また、プログラミング言語をマスターするより大切なのは、コンピューテーショナルシンキング(編注:問題を系統立てて考え、人間やコンピューターが解決する方法を見つけ出す思考プロセス)だと思います。
さらに7、8歳くらいの早い段階であれば、コンピューテーショナルシンキングより先にデザインシンキングを先に学ぶことが重要だと思います。
デザインシンキングは、社会の様々な部分について考え、共通する問題を探しだす思考です。
デザインシンキングはダブルダイヤモンド構造(編注:イギリスデザインカウンシルが提唱した課題解決のフレームワーク)の、最初のダイヤモンドです。そしてコンピューテーショナルシンキングは、2つ目のダイヤモンドです。
これをマスクの在庫問題に当てはめると、最初に解決すべき共通の問題を突き止め、その後に開発と実現方法を考える、ということになります。
この2つは同等に重要ですが、デザインシンキングがまず最初にきます。台湾の小学校では最近スクラッチ(編注:プログラミング言語を学ぶツール)を使った学習が人気なのですが、生徒たちはスクラッチをいきなり始めるのではなく、まずはゲームをしたり絵を描いたり、他の子と遊んだりすることから始めます。
生徒たちは色を変えたり、BGMを変えたり、ヒーローの顔を自分の顔に変えたりしてデザインを学びます。そして、他の生徒たちと想像力を使って考え、全員が興味を持っていることや共通の価値観を探すのです。
これは、コードを書くよりも先にやるべきことで、プロのプログラマーも取り入れている方法です。
私たちの仕事の80%は、オープンソースコミュニティで完成しています。先ほど述べたように、私たちは周辺に少し変更を加え、現存するシステムを掛け合わせるなどの仕掛けを加えます。それがプロの仕事でもあります。
ですから私は、プログラミング言語をスキルだとは思っています。むしろそれは能力です。誰もが必要な時がくれば、プログラミングを学ぶ能力があると感じられる必要があります。
しかしその前に、プログラマーが使う抽象的な概念、コンピューテーショナルシンキングとデザインシンキングを、重要な能力として早ければ7歳から教えた方がいいと思います。
――何がきっかけで、オードリーさんはデザインシンキングやコンピューテーションシンキングが重要で、それが自分に向いていると気づいたのでしょうか?
タン:私は8歳の時からプログラミングに興味がありました。数学は好きだったのですが、計算は得意じゃなかった。計算はとても退屈で、しょっちゅう間違いました。コンピューターが計算をやってくれるなら、そのほうがずっといいと思っていました。
計算をよく間違っていた私にとって、数学で最も惹きつけられたことの一つはホモフィズム、つまり違って見えるものに共通している構造です。
スティーブ・ジョブズが、コンピューターを「知性の自転車」だと言いましたが、とても良い表現だと思います。私は今でも、向かうべき方向を定めるためにペダルをこいでいますが、自転車のおかげで全行程を歩くより、ずっと楽に進めます。そういった考えがあり、私は幼い時からコンピューターを使うようになりました。
さらに成長すると、私は自分のプログラミングがコンピューターで音楽のように扱われること、そしてプログラミングは自分のためだけではないことも知りました。
1993年に、マルチユーザーダンジョン(編注:オンラインゲーム)コミュニティに参加した時、私はいくつかのプログラムを書きました。そしてそれが人々のリアリティを変えたことに気がつきました。プログラミングは、多くの人たちにとって、同時に楽しめるインタラクティブな創作だったのです。
私が新しい交流方法を思いつくと、人々は私にそれをどう感じたかや、どう交流したかを私に伝えてくれました。
私は当時12歳でした。この社会的な交流、自分のプログラミングで、人々がより良いコミュニケーションができると気づいたことが、この現象に対する私の研究興味を掻き立てました。
例えば人々はなぜ、オンラインで簡単に他人を信頼するのだろうと考えるようになりました。この興味が私のサイエンス・フェアでのプロジェクトへと繋がり、李登輝総統(当時)に最初に会うことになったのです。その後、中学校を中退しましたが、校長先生はその決断を喜んでくれました。
情報公開に、リスクはありませんか?
オードリー・タン「台湾の大臣は、35歳以下の若手にアドバイスをもらう」→政治を変える方法がすごい【インタビュー全文:その②】
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ーー情報を公開することには大きな価値がある反面、例えば「犯罪者が外国人に多い」という情報だけが流れた時に、背景を配慮しないまま差別に繋がってしまう可能性もあります。情報の民主化のために、そういった問題をどう回避できるでしょうか。
タン: リバースメンターをした2014年に、私たちもこの問題に取り組みました。そして多くのことを発見しました。
例えば台湾の内政部は、大雨や台風による土砂崩れで、一定の地域がどれだけの損害を受けるのかを示すデータを公開しようと考えていました。言い換えれば、地理的にどれほど脆弱かを示すデータです。
しかし情報の公開に対して、反対がありました。脆弱だとされる場所に住んでいた人たちは、事前に備えられるという意味では感謝していました。
しかし、実際には土砂崩れの被害にあわないような場所であっても、危険区域とされれば土地の価格は下がってしまいます。また中には、建物の物理学的な理由などから、被害にあう危険性が少ないケースもあります。
そういったことについて、地方自治体から抗議を受けました。そこで私たちは彼らと何カ月間にもわたる交渉をして、地方自治体が内政部と同じデータをさらに細かく、建物レベルまで公開することで最終的な合意に達しました。
そのデータには、脆弱とされる場所にはどんな問題があるのか、土砂崩れが起きるとしたらどの経路を辿るのか、といった詳細な情報が含まれていました。そのため人々は不必要にパニックにならずにすみますし、再発防止策も話し合えます。
私は、データはより詳細でより現場に近く、できれば実際にデータから影響を受ける人たちによって作られている方が好ましいと思っています。
この一件以来、各省庁が様々な分野でオープンデータ審議会を開き、その審議会が全てのデータに目を通して、データを非公開にするのではなく、解決策として使うようにしています。
もちろんプライバシー保護は必要です。私たちは個人情報は公開しません。そして新しいデータを公開するには、全ての利害関係者に確認します。
その上で、情報は多ければ多いほど良くなり公平になると私は思います。