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アーユルヴェーダエステNY

ニューヨーク恋物語2

2020.08.30 03:12

私が初めてYに会ったのは20年前。

私はニューヨーク で離婚をし途方にくれてたとき、、、

ある方が、珍しく、すごいビジネスがあるらしいよ?

今はオハイオにいるゲイのYにあってきたら?という、、、


その頃の私といえば、まだ、日本もバブルで駐在妻としてニューヨーク にいたので

ゲイ?の人などあったことなかった、、、し、どっぷりニューヨーク の日本人社会にいたので未知の世界。


ドキドキして行ってみると、Yとその時のボーイフレンドが一緒に住んでたオハイオの大きな1軒屋に泊めてもらった。

不思議な光景だった、、、、


Yはなかなかいけてる男らしい男なのに、エプロンして、ボーイフレンドの為にディナーを作ってた、、だけど、彼の気さくな面白い性格にすぐ溶け込んで、楽しんだ。


そして話すと変な古い日本語と英語のちゃんぽん。


あなた、汽車に乗ってきたの???

(え、汽車って何?地下鉄のこと??)


切符は?

え、チケットのこと?


恋人は?

人に会うとすぐに恋人を聞きたがる。笑

恋人?ボーイフレンドのことでしょう?

今時、恋人なんていう言葉を会話で使う人見たことない、、、笑


というのはYは40年間日本に帰ったこともなければ、日本人とも付き合い一切なかったのだ、、だから、日本語忘れてたのと、、古い日本語しか覚えてなかったんです、、、笑



そしてその時私はというとわざわざオハイオまで行き、

全財産100万円現金をそのビジネスに投資した、、

ら、なんと、

1ヶ月後にその会社が倒産!!!!!


全財産失うところから、Yと私の希妙な愉快な友人関係が始まった、、、


だけど、不思議にも、ショックでもなければ、Yを恨まなかったし、そこからどんどん、お金が入ってくるようになったし、どんどん運が開けてきた。

グリーンカードが当たったり、、、

良いことがどんどん起こった。


そして昨日までYと楽しい友好関係を続けてきた、、、


朝早く携帯がなる、、、、

だれ??

どうせYでしょ、、、

な〜に〜みたいな感じで、本当の兄貴みたいに気を使わずなんでも話したものでした、、、




Yは私と出会ったときはニューヨークから彼氏を追いかけてオハイオに一時住んでた。

家でアートスクールなんかもしてた

2度目オハイオに行くと20代のハンサムオハイオボーイがたくさんきてたのにはビックリした。

どこから見つけてくるのか??不思議、、、とYにいうと


当然でしょ〜!

の一言。


そして彼はお気に入りのMを紹介してくれた。

当時18歳かな?ブロンドのイケメンでした。今でも。



Yはハンサムが大好き。

顔が一番大切らしい。ハンサムでないとダメらしい、、

アーチスト視線なのかもしれない。

とにかく、美しい物が好きだった。

けれど、ブランドには全く興味ない。

むしろアンティークに行ってハンターするのが趣味


Yはこう教えてくれた。


ひとみさん

私はハンサムな男の顔が好きなんだ。

高校生の頃、日本でハンサムの男が好きだとわかった。

それから日本での生活は地獄だった。

当時の日本ではゲイなんて市民権ないし、変態扱い。

生きてるのが苦しくて、苦しくて、アメリカに行きたいと思った。

なのでまず東京に出る。


そこで当時はやってたペンフレンドに手紙送ったら、返事がきたらしいが、英語が分からなくて意味がわからなかったので、

新宿のゲイクラブに言って、(当時からあったんですね。ビックリ!)

外人を探し、手紙を訳してもらおうと思ったと、、、



そこにいたのが、現在のマンハッタンのアパートの持ち主だったEさん。

彼が手紙を読んで、

君はアメリカに行きたいのか?

ならば、私がスポンサーしてあげると言ったそうだ。

欲しいものはなんでもゲットするY!


そして60年前日本からシベリア鉄道でヨーロッパに行き、そこでEと落ちあい、ヨーロッパ中を旅してからアメリカに渡ったと、、、


まるでロマンスストーリー



そこから昨日なくなるまでそのアパートに住んでいる。

(オハイオには数年住んだがアパートはキープしていた)



その後Eがエイズでなくなり、Yが最後まで闘病生活を共にし、今のアパートを受けついだ。

そして、そのアパートが今度はイケメンMが受け継ぐ。



マンハッタン西は77丁目のナチュナリーヒストリーミュージアム近くの素晴らしい

DUPLEXのアパート。


彼の作品です。

色使いがとても綺麗で大好き。

ピュアな性格が出ています。