俳句に見られる四季の月
http://mohsho.image.coocan.jp/Issa-haikunotuki.html 【一茶の俳句に見られる四季の月】より
一茶の春の月の句
春もはや立つぞ一ひ二ふ三ケの月 春になったよ。ひいふう見よの三日月。
長閑さや浅間のけぶり昼の月 長閑さよ。 遠く浅間の煙がたなびき、昼の月
が出ているよ。
雪溶けてクリクリしたる月夜かな 雪が溶けて、月もクリクリと明るく輝く夜に
なったなあ。
茹で汁の川にけぶるや春の月 茹でた汁の湯気が川面にけぶっているよ。
見上げると春の月が。
文七が下駄の白さよ春の月 元結職人の文七の下駄は白いなあ。春の月が
ほのぼの。
はつ春も月夜となるや顔の皺 初春も過ぎ春の月夜になったねえ。年を重ね
増えた顔の皺。
すつぽんも時や作らん春の月 時を告げるはずのないスッポンが鳴いたよ。
春の月に。
白魚のどつと生まるる朧かな 白魚がどっと生まれる朧月の夜だなあ。
月よ梅よ酢よこんにゃくのと今日も過ぎぬ 月よ梅よ酢よ蒟蒻のと言って今日も過ぎて
しまったなあ。
花の月のとちんぷんかんの浮世かな 花や月やと気楽なことを言いながらの浮世で
あったなあ。
三ケ月はそるぞ寒さは冴えかえる 三日月が反り返り、寒さが冴え返るようだね。
梅が香に障子ひらけば月夜かな 梅の香りにさそわれて障子を開けると月が出て
いたよ。
一茶の夏の句
痩松も奢りがましや夏の月 月とツーショットで痩せた松も得意そうだよ。
夏の月。
うら町は夜水かかりぬ夏の月 裏町の田に夜水が引かれ安堵すると、そこに夏の
月が映っている。
寝むしろや尻を枕に夏の月 寝そべったまま月を見ていると、月が尻を枕に
しているようだね。
夏山の膏ぎったる月夜かな 夏山が暑苦しくて膏ぎった汗をかいたような月夜
だこと。
満月に隣も蚊帳を出たりけり 満月が見事なので、隣の人も蚊帳を出てきたよ。
それでこそ御時鳥松の月 松にかかる月に、時鳥がよくぞ鳴いてくれましたよ。
三日月に頭うつなよほととぎす 有頂天になって頭をぶつけるなよ、ほととぎす。
ボウフラが天上するぞ三ヶの月 ボウフラが蚊柱になって天上に昇る先に、三日月が。
夕月のさらさら雨やあやめふく 夕月が残る中、雨がさらさら降りあやめが咲き始め
ている。
夏菊の小しゃんとしたる月夜かな 夏の菊が少ししゃんとして咲いている月夜です。
麦つくや大道中の大月夜 大きな月が出た夜に、道の真ん中で、麦をついているよ。
ずっぷりと濡れて卯の花月夜かな ずっぷりと濡れて卯の花の咲く雨後の美しい月夜です。
一茶の句に見られる秋の月
婆婆どのが酒飲みに行く月夜かな 婆婆どのが酒飲みに行く明るい月夜だな。
人並みに畳の上の月見かな 世間の人並みに畳の上でする月見の嬉しさよ。
雨降りやアサッテの月あすの萩 ひどい雨、明後日の月も明日の萩もどうなるの。
年寄りや月を見るにもナムアミダ お年寄りは月見ても南無阿弥陀仏。
たまに来た古郷の月は曇りけり 古郷の月のなかりけり、古郷の月も涙かな
名月の御覧の通り屑家かな 十五夜の月が御覧になったように、わが家は
屑家ですね。
そば時や月のしなのの善光寺 月の名所の信濃の善光寺は、新蕎麦の季節だよ。
名月をとってくれろと泣く子かな こたえてやれない親のじれったさ。
ふしぎなり生きた家でけふの月 生まれた家で仰ぐ今日の名月。
姥捨てた奴も一つの月夜かな 老婆を捨てた奴も同じ月見をしているよ。
古郷の留守居も一人月見かな 古郷の留守番も珍しく一人での月見だよ。
名月や五十七年旅の秋 名月よ、思えば五十七年全てが旅の秋だったよ。
名月や膳に這よる子があらば 膳に這い寄ってくるあの子が生きていたらな。
小言いふ相手もあらばけふの月 小言を言う相手もあればいいのにねえ。
有明や浅間の霧が膳を這ふ 浅間山から霧が流れて膳を這っているよ。
一茶の句に見られる冬の月
麦ぬれて小春月夜の御寺かな 小春のように暖かな月の光がお寺を照らしているよ。
寒月や喰つきさうな鬼瓦 地上を照らす凍てつくような寒月と、喰いつきそうに
天空を仰ぐ鬼瓦との対照的な風景。
寒月やむだ呼びされし座頭坊 寒々とした月、仕事もないのに無駄に呼ばれたあんま
さん。
玉霰夜タカは月に帰るめり 玉のような霰が地上を打つ。ヨタカは月に住む嫦娥の
ように月に帰っただろうね。
けしからぬ月夜となりしみぞれかな 月夜なのにみぞれとはけしからんよ。
けろけろと師走月夜の榎かな 年の瀬で慌ただしいというのに,けろりと師走の月
が「榎」の梢に掛っているではないか。
http://mohsho.image.coocan.jp/Basho-haikunotuki.html 【芭蕉の俳句に見られる四季の月】 より
芭蕉の春の月の句
月待や梅かたげ行く小山伏 月待ち行事の夜、呼ばれて行く様子の、梅の枝を担い
だ子山伏と出会った。
春もややけしきととのふ月と梅 朧月に梅もほころび、ようやく春の気配が整ってきた
よ。
花の顔に晴うてしてや朧月 美しい花の顔に圧倒されたのか月は朧にかすんでいる。
猫の恋やむとき閨の朧月 猫が騒ぎ立てていたが、静かな春の夜に戻り、朧月が差
し込んでいる。
しばらくは花の上なる月夜かな 満開の夜桜の上に懸かる朧月の情景
芭蕉の夏の月の句
ほととぎす大竹藪をもる月夜 時鳥が鳴き過ぎる時も、大竹藪の葉の間から月光が洩れ
射している。
五月雨に御物遠や月の顔 五月雨が降り続いて月の顔もご無沙汰だね。
此のホタル田ごとの月にくらべみん 瀬田の蛍の素晴らしさを、姨捨山の田毎の月と比べ
てみよう。
涼しさやほの三日月の羽黒山 涼しいね。羽黒山の上に三日月がほのかに見えるよ。
夏の月御油より出でて赤坂や 東海道の御油宿から赤坂宿までのように、夏の月は短
いね。
月はあれど留守のようなり須磨の夏 秋の月見の名所の須磨が、夏は主人のいない留守宅
みたい。
月見ても物たらはずや須磨の夏 須磨の夏は月を見ても物足りない感じだね。
蛸壺やはかなき夢を夏の月 蛸は壺の中で短夜のはかない夢をむさぼり眠るのか。
私も。
手を打てば木魂に明くる夏の月 暁の夏の月に柏手を打つと木霊し夜が明ける。二十三
夜の月待行事。
雲の峰いくつ崩れて月の山 入道雲が涌いては崩れ、いま月山を月が照らす。
芭蕉の秋の月の句
一つ家に遊女も寝たり萩と月 乞食同然の自分と花のような彼女が同じ宿に。
折しも、庭の萩には月が清らかな光を投じている。
芭蕉葉を柱に懸けん庵の月 青い芭蕉の葉を、月見の興に柱へ掛けよう。
三日月や地は朧なり蕎麦の花 三日月の淡い光、白いソバの花が咲き広がる秋の畑。
侘びてすめ月侘斎が奈良茶歌 侘び、澄むと住む、風狂人の月侘斎、奈良茶歌
などの言葉からなるほっとけない味わい深い歌。
国々の八景さらに気比の月 八景の名所はいろいろあるが、気比の月は格別だ。
月いづく鐘は沈める海の底 月はどこへ行ったのか。伝説の鐘も海の底に沈んで、
音を聞くことができない、寂しい雨夜です。
名月はふたつ過ぎても瀬田の月 閏月で名月を二度楽しめたが、瀬田の月は飽きない
よ。
けふの今宵寝る時もなき月見哉 今宵は月の風情に見とれて寝るときもないほどです。
雲折々人を休むる月見かな 西行;なかなかに時々雲のかかるこそ、徒然草137
段 花は盛りに、月はくまなきものを
名月や池をめぐりて夜もすがら 池を巡り歩いているうちに、夜を徹してしまった。
寺に寝てまこと顔なる月見かな 西行のかこち顔を思い出します。
名月や北国日和定めなき 中秋の名月なのに、北国の天候は変わりやすいものだ。
名月や門にさしくる潮がしら 隅田川河口近くの庵の門先まで満ち潮が寄せてきて、
その波頭が名月に光る。
夏かけて名月暑き涼み哉 夏の猛暑の名残は秋になっても消えず、名月の今宵も暑
く、納涼の月見になったよ。
名月の花かと見えて綿畠 名月に照らされ、綿の白い花が咲き続いているようだ。
十六夜もまだ更科の郡かな 十五夜の月を姨捨山で賞したが、今宵十六夜の月も
まだ更科で眺めている。
錠明けて月さし入れよ浮御堂 湖上に浮かぶ浮御堂の阿弥陀千体仏を月光で輝かせた
い。
いざよひのいづれか今朝に残る菊 「十日の菊」、「十六夜の月」もわずかに盛りを過ぎた
だけ。今宵も歓を尽くそう。
菊に出でて奈良と難波は宵月夜 昨夜は奈良、今夜は難波、二夜続けて美しい宵月を見
る。
九たび起きても月の七ツ哉 何度も起きては月を見るが、まだ十三夜の七つ時
午前4時頃、夜明けまでには時間がある。
橋桁の忍は月の名残り哉 瀬田の唐橋、十三夜の月、橋桁にしのぶ草が。名残、
面影の気分。
秋もはやばらつく雨に月の形(なり) 秋も終わりに近く、通り過ぎる時雨っぽい雨にも、
夜毎に痩せる月の姿にも寂寥感が漂う。
芭蕉の冬の月の句
月白き師走は子路が寝覚めかな 白く冴えた師走の月は、寝覚めた子路の曇りなき
廉潔さそのものだ。
月の鏡小春に見るや目正月 鏡のような満月を小春に見たのは、これぞ目正月だ。
雪と雪今宵師走の名月か 雪と雪が照り映え、師走ながらの名月だ。
月雪とのさばりけらし年の昏 年の暮れを迎え、思えばこの1年、雪だの月だのと思い
のままに暮らしたなあ。
旅寝よし宿は師走の夕月夜 師走の夕月が照らすこの宿でよい旅寝ができる。十二月
九日、上弦の月か、その次の日の月くらい。
冬庭や月もいとなる虫の吟 冬の庭を照らす糸のように細い月。生き残った虫の声も
か細い。
月花の愚に針立てん寒の入り 今日は早くも寒の入り、風雅に明け暮れたわが身の愚か
さに、針治療でもしよう。
月やその鉢木の日の下面 月の美しい夜に演じた能楽「鉢木」の面なしの顔が偲ば
れる。
有明も三十日に近し餅の音 有明月も日を追って細くなり、三十日が近づき、餅をつ
く音がする。「月代や晦日に近き餅の音」の句がはじめ
に作られたそうです。ここで歌われる「三十日に近い
有明月」は、いわゆる、明けの三日月が二十七日の月
と言われますので、それより淡く、か細い月であろうと
想像します。
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私のコメント
1.明けの三日月前後と思われる月への記述は、枕草子 第235段の
「月は、有明の、東の山ぎはにほそくて出づるほど、いとあはれなり」
に見られました。そして、芭蕉の句にも
「明け行くや二十七夜も三日の月」
と歌われています。
2.今回の芭蕉の冬の句の「有明も三十日に近し餅の音」には、
年末のあわただしさとともに、さらに淡く、か細い、寂しい月に、
衰えゆく自身の姿が重ねられたように感じられ、印象に残りました。