満ちた月は欠け、咲き誇る桜もやがては散る
http://pixy10.org/archives/30491103.html 【日本はいつから「月」に目覚めたのか?】より
私たち日本人は時代を超えて、月に憧れをいだいていた。でも、それはいつ頃からなのだろう?古代より闇夜を照らす月光は神秘的な印象を与えただろう。
でも日本の神話における、月神の扱いは冷淡なもの。
ギリシア・ローマ神話では、ルナ、セレネー、ディアーナと、月の女神はゴチャゴチャするほど登場するのに、古事記でツクヨミノミコト(月読命)の扱いは極めて小さい。
日本人の月への想いがあふれるのは平安時代後期から。勅撰和歌集における月歌の増加がそれを物語る。
この頃何が起きていたことと言えば、末法思想の蔓延(1052年が末法元年と言われた)
武士の台頭による貴族社会の終焉
激動の時代に祈るような想いで見上げたのが月だったのかも。
よろずの事は、月見るにこそ慰むものなれ。(徒然草21段)
ちなみに「桜」と「月」に狂った西行は平清盛と同い年。
西行を境に仏教の「無常観」がうつろいでてきて、月と桜は日本人にとって、心の主題となったような気がする。
西行は当時の文化人に多大な影響を与えた人物だったから。
http://pixy10.org/archives/2961918.html【西行、日本の桜観を変えた漂泊の歌人】より
平清盛と同年に生まれ、貴族社会と武家社会の間に生きた西行は、日本の文化史・精神史における転換点を演出した偉人だった。
私が特に注目した西行の偉業は次の2点。
①無常観が仏教を離れた瞬間 ②桜に人生を重ね合わせる美学の完成
北面武士として鳥羽院に仕えていた佐藤義清が出家したのは23歳の時。
西行と名乗り、孤独を生きる力に詠み続けた渾身の和歌の数々。
いったい西行にとって和歌とは何だったのか?
明恵上人の伝記に、西行唯一の歌論が残されており、これによると、西行にとって和歌を詠むことは修行の一環だったと。
【ともすれば 月見る空に あくがるる 心の果てを 知るよしもがな】
【ゆくえなく 月に心の すみすみて 果てはいかにか ならんとすらん】
月を見上げた心は澄みわたり果てしなく広がっていく…。
西行のからだを離れ、移ろい出てきた「心」。西行の和歌に「無常観」が仏教を離れた瞬間あり、と見てみたい。
【花に染む 心のいかで のこりけむ 捨て果ててきと 思ふ我が身に】
そしてその無常の心は西行の愛した「桜」へと乗り移った。
「春」と「散る」が重なり、貴族の「あはれ」が武士の「あっぱれ」に移りゆく…
西行の登場により、日本人にとって桜は「心」の問題となったのだ。
満ちた月は欠け、咲き誇る桜もやがては散ることを、人生に重ねあわせる。
こんな感覚は、西行からはじまった、とは言い過ぎだが、西行で完成した。
全国を遊行し、その名が知られていた西行の見事な死は、日本中の文化人に大きなインパクトを与えたに違いないから。
【ねがはくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃】
願いどおり、満開の桜の下、満月の日(釈迦の涅槃の翌日)に亡くなった。
月と桜を愛した奇跡の歌人。その死によって文化史上、伝説となったのだ。
https://pixy10.org/archives/865273.html 【西行、月の歌-「山家集」より】より
人と自然を愛し、いかに無常を生ききるかを詠った西行の和歌。こんな素晴らしい逸品が、絶版で入手困難なんて困ったものだよ。
西行といえば桜の歌が有名だけど、(→桜の語源と西行の和歌)藤原定家が百人一首に選んだ西行の歌は、
【嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな】
月と恋のかけ合わせたもの。西行の歌には叶わぬ恋を月に映したものが多く、
「山家集」のなかから、目にとまったものをピックアップすると…
【あはれとも 見る人あらば 思ひなん 月のおもてに やどす心を】
【弓はりの 月にはつれて みし影の やさしかりしは いつか忘れむ】
【面影の 忘らるまじき 別れかな なごりを人の 月にとどめて】
【思ひ出づる ことはいつもと いひながら 月にはたへぬ 心なりけり】
【恋しさや 思ひ弱ると ながむれば いとど心を くだく月影】
【ながむるに 慰むことは なけれども 月を友にて あかす頃かな】
念願叶って手にしたものより、叶わなかった思い出の方が輝いて見える。
当初は「!」の意味だった「あはれ」がやがて悲哀化したように、
楽しさよりも悲しさの方が、深く心を動かすものだから。。。
そして悲しいときに夜空の月を見上げれば、至極の美を見いだすだろう。
喜びも悲しみも、桜や月の引き立て役にすぎないのかな。
https://pixy10.org/archives/post-3582.html 【西行「山家集」より真夏の夜の月】より
暑い日が続くので涼しさが感じられる和歌を探してみた。西行「山家集」から夏の月歌を4首ほど。
涼を求めて泉で出会った月を詠む
【むすびあぐる 泉にすめる 月影は 手にもとられぬ 鏡なりけり】
【むすぶ手に 涼しき影を 慕ふかな 清水に宿る 真夏の夜の月】
泉に移った月影が鏡のように見えるけど、手にとることはできない。でもその月影が涼しげに感じる、という涼を求めて泉で詠んだ和歌。
水面に映った月に仏や真理を見る
少し話を脱線して仏教の話。釈迦が「仏とは虚空であり、水中の月である」と述べて以来、
水面に映った月に仏や真理を見る、といった表現が多くある。水急不月流(水、急にして、月を流さず)水の流れがどんなに早くても、水面に映る月までが流されることはない。世間の波に流されず、自分の頭で考えなさい、という禅語。
「大空の月、もろもろの水に宿りたまうといえども、濁れる水には宿りたまわず、澄める水のみ宿りたまうがごとし。」
澄んだ水に美しい月が浮かぶように、澄んだ心の中に仏が宿る。こんな言葉を残したのは、一休宗純。
そんなわけで西行法師が詠んだ和歌ということで、泉に移った月の和歌にも、涼しさだけでなくもっと深い意味も?
納涼のために冬の情景を詠む
【夏の夜も 小笹が原に 霜ぞ置く 月の光の さえしわたれば】
【影さえて 月しもことに 澄みぬれば夏の池にも つららゐにけり】
月の光に照らされて、笹の葉は霜が降りたように、池は氷が張ったように感じられる、と詠んだ歌。今と同じくらい暑かった西行の生きた平安末期。温暖化の影響で国内の勢力図が塗り変わったほどだった。
クーラーを止めることはできないけど、夏の情景に涼しさを見出すといった感性は学びたいものだね。