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トリニティ

魂は細部に宿る

2020.09.04 17:23

夏休みは今も昔も忙しい。





次女が7月末から

長女が8月後半から帰省して

時々長男も顔を出し

賑やかというか 

慌ただしい日々が続いた。



朝ごはん、

昼ごはん、

夜ごはん、

とごはん作りに追われ



ご飯なに?


の声と


増えた人数分の

食材があっという間に

減っていく感じ


に、

ついつい

焦る。



ついこの前まで

こんな日々が

日常だったのだけれど。




数ヶ月

ゆっくりと

家や庭や自分と向き合う日々で

見つけてきたものは



「わたし」という感性。



こんなことが好きで

やり始めたら止まらなくて

こんな面もあったんだ、

と、

改めてわたしを知る。



この期間、

わたしの「イマ」

の気持ちに

素直に行動してきた。




ある方に


「今は踊り場にいる」

と言われた。



また階段を昇っていくための

小休止。



たしかに

ゆっくりした時間の中で




今まで知らなかった

自分らしさを

見つけてきた。




たとえ

これから再び慌ただしい日々に

突入しても



私がわたしに戻れる術を

この数ヶ月で

体得できたから



受けて立とうと思える。




庭先に出て

深く息を吸って、



古木の梅の木や

つるつるの百日紅、

大きくゆれる観音竹や

鳥の啄む南天の木と

風を介して

会話をして



高くなった空と

流れる雲を見上げていくうちに

 


きっと

私はわたしを

取り戻していく。





そんなことを夕方前の

ひとときにぼんやり

考えながら




この角度から

眺める庭が好きだなぁ、

と思ったとき、




「魂は細部に宿る」



という言葉が

浮かんだ。




自分の中から湧いてきたにしては

唐突な感じだけれど




この言葉を口に出すと

庭を眺める視線が

少し変わった。




庭という全体は

細部の積み重ねだ。




空間の重なりが

奥行きを作り

陰影が

彩りに

ふくらみを持たせる。




地面の草が生えていても

生えていなくても



枯れた落葉を

残したままにしていても



その庭全体に及ぼす影響は



わずかなことかもしれない。




けれど


その想いをかけた

空間には


魂が宿っている、



そんな気がした。




元々の言葉は

「神は細部に宿る」らしい。



でも

イマの時代。



タマシイの方が

優しく響く。



神様ほど

崇高ではなく



小さな想いがこもった

タマシイ。




そして、

タマシイが宿る対象が

あることも


幸せだな、と感じた。








昨日、眼鏡のレンズの

度を上げてもらうために

出かけた帰りに



すっかり忘れていた

「谷川俊太郎 展」が

まだ開催されていた。



なんと、6日の日曜まで。



「イマ、いくしかないでしょう」



30分だけ時間が取れそうだからと



またひとつ、

わたしの願いを叶えた。





その場所で

 

読みながら胸が熱くなった


素敵な詩を見つけた。




谷川さんが

バカボンのパパに託したと言われる

一篇の詩。





自分とふたりっきりで暮らすのだ


自分のパンツは自分で洗うのだ


自分は自分を尊敬しているから


それくらいなんでもないのだ


自分がニコニコすれば


自分も嬉しくなってニコニコするのだ


自分が怒ると自分はこわくなるので


すぐに自分と仲直りするのだ


自分はとっても傷つきやすいから


自分の言うことさえきいていれば


自分は自分を失うことはない


自分は自分が好きで好きでたまらない


自分のためなら生命も惜しくない



それほど自分はすばらしいのだ







ああ、

本当に。




こどもたちにも

わたしにも



何度でも

そう言ってあげたかった。

 



「自分の言うことさえきいていれば

 自分を失うことはない」




「それほど自分はすばらしいのだ」





いつもいつも

逆のセリフを言ってきた。




 人の意見を聞きなさい。


 自分だけが正しいと思わない。


 みんなだって我慢している。


 自分のダメなところを

 認めなさい。




そうして


自分も子どもたちも

いっぱい傷つけてきた。





でも、もう終わり。


それでも一生懸命だったから。



だから


もう、だれも

せめなくていい。






これから、


私とわたしが仲良くして 

こころの赴くままに



わたしのタマシイを

ここにあそこに

宿らせながら



日々を過ごせば




私はわたしを失うことはない。



自分のためなら命も惜しくない、



それほどすばらしい自分を



もっと、いっぱい見つけよう。


 





「わたし」



いくつも定義しながら




それでもたった一人の


「わたし」を



だれよりも

いとしく見守りつづける



谷川俊太郎さんの



アイの視線に



最大の敬意を。