8月最後の週末と『売り言葉』
8月最後の週末、てブランチ観てショックを受けました。
もうすぐ、年で1番嫌いな8月31日。
9月になった途端、季節が本当に変わっちゃうの、毎年なんでなんだろうね。
他の月替わりは、もう少しグラデーションがあるのにさ。
自分の出来る範囲で、映画館で映画を観てる日々。
動画を見漁る毎夜。
今日は、ノアノオモチャバコ早川紗代さんのひとり芝居『売り言葉』を観劇に。
本人がずっと言葉にしていた公演を、このご時世で実現させたことへ拍手を送りたいです。精一杯送りました。
高村光太郎氏の『智恵子抄』が軸にあり、野田秀樹さんが作、大竹しのぶさんが過去に演じた作品。
高村光太郎は、純粋ボケで愛に似た言葉が刃になっていることも気付かぬフリか、はたまた素なのか。
加えて芸術家の性分、
いつの日だったか、このダメさにイラ立った記憶が蘇る。
抱いた憤りと悔しさを、“女中”が福島弁で語る。
しかし、女中は本当に存在したのだろうか。
きっと、どの女性にも住んでくれている存在だったのではないかな。
言えない自分だけじゃ、しょうがないじゃない。
誰かが言ってくれなきゃ、誰かに言ってもらわなきゃ、やってられないじゃない。せめて。
智恵子の女性としての心と、芸術家としての芯とが、揺れて、崩れそうになって、また律して。
紗代さんの快活で切れ味の良い表情が、次々と切りさばいてゆく。
あの人物もこの人物も。
約90分、本当に喋りっぱなしで、智恵子の死までを紡ぐ。
女であり、少なからず芸術ごとに足を突っ込む私には居た堪れない刹那が度々、おこがましくもあった。
紗代さん自身も、きっと思うことはあったんじゃないかな、なんて。
90分間のセリフを口にするだけでなく。
生き生きと、コロコロ変わる人物と表情。
あぁ、やっぱり顔の持つ表現は大胆で、なんて伝わるのかと、改めてマスクで覆われない口元を見て豊かさを体感。
フェイスシールドは装着して、これもまた今までにない障害だったと思うけれど。
日常生活でも、どれほど口元の意思が削がれているんだろう。
当たり前になった目元だけの顔たちも、なんだか寂しく感じてしまうよ。
外国人は、目の意識が強いみたい。
だからちょっと隠れていたい時にはサングラスをかける。(色素とか他の理由もあるけど)
日本人は、口元を隠すそう。
マスクをすると安心感があるとか。
顔文字について、外国で使われる顔文字よりも口の表現が多様なのはそのせいらしい。
となると、マスクによって、表情が使われる機会が減っているんじゃないかしら、、。
マスク時代の今を生きた人たちの表情筋が、数年後に衰えてなければいいな。
自分も。
8月は私の好きな月。
1番元気な月。
ただ、今年は今月に限らず、悲しいお知らせが多々、届いてしまう。
あと4ヶ月を残す年内で、もういい加減にして欲しいほど。
奮い立たせるにも限界があるわけで。
そんな時、映画館での映画の時間。
劇場での公演。
元から好きだったとはいえ、今はなんとなく、無意識に逃げ場として救われているように思える。
20代だったら、無理なものも大丈夫と言い聞かせ、アゲて頑張ってただろうけど。
今は、今年は特に、慎重に、自分をよくみててあげなくちゃ。
そういう年周り。
引き続きの、皆様の健康を祈るばかりです。
劇場へ足を運べて良かったなぁぁ。