『玉しゃぶりやがれ(3)』著者:片側交互通行
※前回の『玉しゃぶりやがれ(2)』はこちら
3
「どこに行くんですか」
久留巣さんの格好はバイトでは見ることのできない可愛らしい姿だった。秋らしいワンピースに薄手のコートを羽織っている。おしゃれだと感動を覚える。一方私は彼女の隣を歩いていいのかと思いたくなるような格好をしている。赤いシャツに黒いパンツ、黒いジャケットという平凡な姿で不釣り合いなのではないかと不安になる。
「普段なかなか見れないところ」
ようやくバイトで話ができるようになって四ヶ月経った。
職場では話が弾むこともあった。主に臼井さんのおかげである。売り込みが非常に上手く、将来ああいう人が営業に就くのだろうと思った。
いつも自転車で行動しているので、電車の交通費は痛い出費だったが、ケチな男と思われたくないので、慣れた感じを装って券売機で切符を買った。久留巣さんは電子マネーのカードを持っていた。それくらい準備しておいたほうがクールだったかと考えたが、最先端アイテムをあえて使用しないところに個性があるかもしれないと思った。
「降りる駅くらい教えてくださいよ」
「えーとね。一、二、三、四つ目の駅だよ」
久留巣さんは指を伸ばして路線図を追っていく。爪が光っていて触ってみたかった。この触ってみたいという感覚は、回送列車に飛び込んでみたいとか、非常停止ボタンを押してみたいといった欲求のようなものだ。触ったらどうなるだろうか、という悪魔のささやきが聞こえてくるが、自制心を働かせる。
「え、オフィス街じゃないんですか」
「穴場で面白いところがあるんですよ」
「そうなんですか」
電車に乗り込むと座席は一通り埋まっていて立つことになった。周囲に人がいると何となく話しづらかった。乗客全員が私の話を聞いている、そんな気がする。彼女の方から話しかけられても小声になってしまう。日本人よ電車内ではもっと騒いでくれ。乗客は私の一挙手一投足を見逃さないように注目しているのではないか。
かつて読んだ本で、なぜデートで騒がしい場所に行くのか、ということが書かれていた。まず第一に、騒がしいところなら気まずい沈黙がない。第二は会話が弾まないのを周囲の環境がうるさいせいにできる。第三は周りがうるさいと話が聞こえるように身を寄せ合う口実ができるから、と書かれてあった。このあと行くところも静かな場所なのだ。もっと本を参考にするべきだったかもしれないと後悔した。
「ねえねえ。今どんな漫画描いてるの」
静かな車内で強烈な質問だった。
自分の思考・思想・想像・妄想を語る。それは驚くほど恥ずかしいのだ。子供の空想ならば微笑ましいが、成人した大人が真面目に「ヒーローが悪を倒すのです」「○○という悪人がいて」と語っていたら滑稽だ。それこそ現実を見ろと怒られそうだ。だが少年少女が見るアニメだって成人した大人が創っているではないか。
同じように漫画を描いていたとしても、現在それで仕事をしている人と、それを目指している人とでものすごく大きな違いがある。「目指している人」が「それで仕事をしている人」になったらなにか変わるのか。連続した同じ人間が以前以後で人格が変わるのか。他人が作った箔がつくだけなのだ。応募作と受賞作が同じなら描きあがったその瞬間から本質的に価値を手にしている。時として他人の価値を信用して自分の価値の上昇と取る人もいるが根本は変わっていないのだ。
久留巣さんはそんな俗物的な人ではない。純粋に私に興味があるのだ。周囲は関係ない。
「今は」と話しだそうと思ったのだが、宇宙から異星人が攻めてきて、地球人は防衛軍を組織して戦い始める。敵の弱点に気がついた中学生の男の子が軍に協力するが、異星人は地球とは進化の速度が違っていて弱点を克服して現れる。という話の描きかけの絵を携帯に保存してあるのでそれを見せる。この絵を描いたのも一年前だ。
「こんな感じの絵です」
臼井さんには何度か見せたことはあったが、それ以外の人に見せるのは初めてだった。
「へぇー」
困惑した顔を見せられた。
「一部だけ切り抜いてもわかりにくいよね」
笑いながら携帯を引っ込めた。電車のガタゴト揺れる音が沈黙を重くした。
いつも自転車だから慣れない地下道を歩いて裁判所にやってきた。
「え、裁判所?」
「そうそう」
「デートで裁判所連れてくる人初めて見た」
「面白いよ。一度騙されたと思って見たら、案外ハマるかもしれないし」
渋る久留巣さんを説得して中に入る。性犯罪は避ける紳士面を見せて、窃盗罪に決めた。傍聴席について時間通りに裁判が始まる。起訴状を読んで、黙秘権に関する内容が告げられ、起訴内容に対して罪状認否がされる。裁判自体はそれだけで終わって次の日時が決められて閉廷となった。裁判所は欲望や感情を抑えることができなかった人間の標本が展示されている。
隣を見ると久留巣さんは携帯電話を触っていた。
「何が面白いんですか」
やや不機嫌そうだった。
「他人の人生の一部を垣間見るところとか」
「趣味悪くないですか?」
「だよね。外出ようか。ごめん」
裁判所から大通りに出ると洒落た店が多数あったが、それは私のスタイルにそぐわない感じがした。私に合っているのは昭和テイストで、店員が若くない、禁煙、客が少ない店だ。目に入ってくる店は、小奇麗で現代的、店員が若く、ほぼ満席で、禁煙の店ばかりだった。臼井さんの「演じないほうが良い」を思い出す。洒落たカフェに入店したら、店を出るまで店員にも周囲の客にも久留巣さんにも演じなければならなくなるだろう。それでは本来の自分というのを見てもらうことはできない。
五分くらい歩いて良い具合の店が見つかった。注目したところは店の前にコーヒー豆を挽くミルのレプリカが飾ってあるところだ。
店の扉を開けると、コーヒーの香りと煙が漂ってくる。この店は昭和テイストで、店員がおばちゃんで客はおじいさん、喫煙の店だった。減点ポイントはあるものの、表通りのカフェよりは敷居が低い。テーブル席に向かい合って座りおばちゃんにコーヒーを頼む。
カウンターの向こうでマスターのおじさんがサイフォンの用意を始める。
「何か落ち着くね」
「そう?」
コーヒーが来るまでの間、気まずくなりお互い携帯を取り出した。臼井さんに連絡を取る。今日は確か仕事中なので連絡を返してくれるはずだ。今日のデートの流れを簡潔に説明した。
『どうしたら良いですか』
『裁判所っていうのがまずかったですね』
『今から挽回できますか』
と返事を入れたとき、彼女が口を開いた。
「私この後用事あったの思い出しました」
手の中で携帯が震える。
『ちょっと難しいかもしれないですね。もしかしたら帰るとか言うかもしれませんよ』
彼女は注文したコーヒーをなるべく急いで飲むようにしてお金を置いて出ていった。ここは奢ると言ったが、テーブルに置かれたのでどうしようもなかった。どんなバカでもこの意味はわかった。コーヒー代は四百五十円だが、彼女は五百円玉を置いていった。
コーヒーを飲んだ。酸味が強い。
早々に店を出て川沿いを歩いた。自然の豊かな場所なら心も癒やされたかもしれない。しかし、ビルの谷間には緑と茶色の中間色の汚い川があるだけで、余計に落ち込むだけだった。そんな川に遊歩道が設けてあり、似合わない洗練されたデザインのベンチがポツリポツリと並んでいる。座ろうかと思っていたら、小奇麗な女性がベンチに座ってお菓子を食べながら携帯を触っていた。
汚い川の洒落たベンチで、この場に相応しいのは彼女か私か。
座るタイミングもわからず歩き続けた。このまま家に帰らず暗くなっても歩いていたかった。
ホームレスが雑誌を手に掲げて立っている。ビッグイシューという雑誌だ。ホームレスだけが売ることを許可されて、販売額の何パーセントかが彼らの収入になるという仕組みらしい。買ってみても良かった。彼の少し離れたところで立ち止まった。彼はその雑誌を持っていなければホームレスだと気づかない格好だった。購入してくれるのだろうかと視線を投げかけられる。
買ってみたらどうなるんだろう。悪の欲望を抑えるのが自制心なら、善の欲求を抑えているものは何なのだろうか。悩んだ挙句、ホームレスから雑誌を買った。三百五十円という値段は交通費より高かった。ホームレスは嬉しそうに笑って雑誌を渡してくれた。なけなしの三百五十円で彼の生活は百数十円くらい楽になったのだろう。
私は歩きながら考えていた。一体何がしたいんだろうか、という疑問が頭の中を回り続けていた。結局疲れて夕方の電車に乗って家に帰った。
「ジーザス・クライスト」
と呟いて自嘲してみるが、気分は落ち込んだままだった。
翌日からバイトに行かないという選択もあったが、バックレる勇気もなかったので出勤した。
昨日の話はすでに周知されていた。連絡ノートにでも書かれていたのだろうか。
「加藤さん、今度俺も裁判所連れてってくださいよ」
「加藤さん、少し変わった人だと知ってましたけど、予想を簡単に超えますよね」
久留巣さんと目が合うと、気まずそうに目を逸らされた。
笑われながら業務の引き継ぎを終えて臼井さんと二人になった。
「失敗しました」
多くの慰めの言葉をもらった。ついでに一般的なデートの流れも教えてもらった。次使う時が来るのかわからないが。素人は映画でも見に行ったほうが吉らしい。
仕事が終わって帰ってからが本番だった。布団の上で枕に顔を埋めて叫んだり、叩いたり、部屋の中を歩き回って再び布団の上に転がる一連のルーティンを繰り返していた。失恋ゼンマイ人形として商品になりそうな動きだ。
描きかけの漫画を前にして椅子に座る。時間をかけて描いたものだが、駄作に思えた。描いているときは今まで以上によくできていると思ったが、一度入り込んだ「駄作」という言葉が過去を否定していく。
本当はそんなこと思っていない。心の奥底では良い手応えを感じていた。
けれどもそう思おうとした。こんなものでは新人賞は通らない。そう思いたかった。
手を原稿の上においた。しばらく動かなかった。その時が来ると思っていた。来てほしいと思っていた。どうすれば来るのだろうと思った。なぜ、ドラマや漫画ではその時が来るのか、なぜ、自分には来ないのだ。私はそれほどこの傷が重要ではないというのか。
手が原稿から離れる。ホッとした自分が嫌になった。こんな時まで損得勘定をしている自分がとてもつまらないと感じた。なぜこんな時でも理性が働くのか。
代わりに百円ショップで買ったグラスを玄関扉に投げつける。正確には投げつけてみようと思って投げた。手加減をした。派手な音を立てて割れたことに少し気分が落ち着く。どこまで言っても完全に熱くなれない自分を意識させられた。
感情と言動の隙間に理性が入り込んでくるのだ。怒りたいのに「不利になる」と、悲しみたいのに「漫画みたいに悲しんでいるフリを演じたいのだろう」と、楽しくないのに「楽しいふりをすれば相手に悪く思われないぞ」と、笑いたくないのに「相手に合わせろ」といつも声がするのだ。
なぜ表現できないのだ。漫画では表現するというのに、自分自身を表現できないのはなぜか。感情は私の持ち物のはずだ。実際は私の感情を手にしているのは他人で世界だ。
激情がこんなにも自分に似合わないことがショックだった。
裁判を見に行く気も起きず、野草を採りに行く気にもならず、もちろん漫画を書く気も起きない。日常はただ過ぎていった。そのくせ言い訳だけは作り出せるものなのだ。裁判を見てもワンパターン(当たり前だ)。今の季節は寒くてめぼしい食材が採れない。もっと時間をかけたほうが作品がいい仕上がりになる。そのくせ何をしているかと言うと、インターネットでニュースや他人の意見をただ見ているだけだ。それさえも今後の創作活動に有益だからと言い出す始末。
やりたいことをしなくなり、一番やりたくないことだけをするようになっていった。
(続)