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コロナとの共生とアート(兵庫県立横尾救急病院展 2020)

2020.08.29 16:33

「新・美の巨人たち」(テレビ東京放映番組<2020.8.1> 主な解説より引用)


 「横尾忠則現代美術館」は、兵庫県西脇市出身の美術家、横尾忠則からの寄贈・寄託作品をもとに、今から8前の2012年11月に開館した。


 新型コロナウイルスが世界に拡大していると、WHO(世界保健機構)が緊急事態を宣言したのは、今年(2020年)の1月31日。
 その翌日に、「兵庫県立横尾救急病院展」と題する展覧会が、神戸にある「横尾忠則現代美術館」でスタートした。
   本企画の決定は、なんと中国・武漢市で新型コロナが発生する1年も前であった。

 

 展覧会のオープニングでは、来客全員にマスクを配布して装着。主催者や美術館の職員たちも、白衣とマスクで大がかりな演劇的パフォーマンスを演じた。150人以上のマスク集団は、その当時(本格的な世界的コロナ騒動前)は、誰も見たことのない光景なので、美術館内は異様な雰囲気に包まれた。

 この時点で、マスクを装着した人々が、実際に次から次へと一斉に街に溢れ、都市空間がアート化されるなどと、一体だれが予想しえたであろうか。 

   もともと様々な持病の多い横尾忠則さんではあったが、「病気は運命でありチャンス」とらえ、コロナ感染というネガティブパワーを、「創造」というポジティブなパワーの力に切り替えてきた。

 横尾さんは、「アートはともすると、無意識のままに未来を現在化させる予知的なエネルギー(シンクロニシティ)を、その内に秘めていることがある」と語った。

 2020年7月1日、国連安保理は紛争地での「90日間停戦を求める決議案」を、全会一致で採択した。戦争まで止めてしまうコロナは、ある意味で戦争より怖い存在であるとも。

    

(本番組を視聴しての私の感想コメント)

    新型コロナウイルスにより、我々の日常は以前とは一変してしまった。感染症が世界規模で蔓延する様は、まるで映画のようにも見え、時に虚構と現実との境界線が、曖昧になったような感覚に襲われる。

 横尾忠則さんは、禍が起こるはるか以前から、虚実が交錯するかのような緊迫した状況を繰り返し描いてきた。そして、コロナの日々を、現代アートはどう記録するのか。彼のプロジェクトは、「WITH CORONA」として今も挑戦・継続中である。

 まるで今日の世界を予言していたかのような、横尾さんの救急病院展・企画での問題意識が、現実のものになったことに驚きを隠せない。

 私にとっての横尾さんは、サイケデリックで、シンボリックなポスターやデザインを手がける、若き天才画家の一人という印象が強かった。

 番組でも、かつてのビートルズのジョン・レノンさんやオノヨウコさんとも親交を深めたであろう、エピソード写真も紹介されていた。

 今回の番組アート・トラベラーであるシシド・カフカさんとのやり取りの中で、横尾さんは、「指先の脳が素直に反応して描いている」と語った。 

 普段は当たり前のようにできていたことが、今はできなくなっている世界。「自分は・・自分が・・」ではなく、「他者をどう思い、どう行動するのか」「生きている一瞬がこんなにも尊いものなのか」を、改めて世界中の市民誰もが感じはじめている。

 どうやって生きていくのか、が大きなテーマであり、その先に見えてくるウィズコロナの世界であろう「千年王国」は、果たして「楽園」なのか、「地獄」なのか、今を生きる一人ひとりに突きつけられていると・・・

 人間も有限の地球という天体に存在する生物の一種であり、哺乳類の一種にすぎない。そして、誰にも例外なく「死」は訪れる。「ただ生きる」のではなく、「より良く生きる」ことの価値を再考し、行動すべき時代に突入したのではないか。

 そして、より良く生きるための「智慧」は、今や1国のみに止まらず、運命共同体としての「地球市民」として、環境問題への解決策に典型的に見られるように、つねに自らの考えと行動を結びつける時代に入ったのではないか。

 前回のバンクシー同様に「アート」の存在がクローズアップされてきているのも、偶然では決してないと思う。今回の新型コロナは、単なる1ウイルスの蔓延に止まらない、「人権の世紀」「生命の世紀」の到来、その兆候かもしれないと考えた。


<参考までに>
日本での「マスクの歴史」

 日本での「マスクの歴史」は大正年代にはじまるとされる。当初は「工場マスク」といわれ、文字通り工場内での粉塵よけとして作られた。

 その後、1919(大正8)年にインフルエンザが大流行すると、その「予防品としてマスク」が注目を集めた。このときの需要はブームともいえるもので、供給が追いつかずメーカーが乱立し、品質の低下を招いた。

   さらに、関東大震災までは需要も落ち着き、徐々に普及していった。

 1934(昭和9)年にインフルエンザが猛威をふるい、再びマスクが流行した。以後、インフルエンザが流行るたびに、マスクの出荷量も爆発的に増えていった。

 流行と衰退を繰り返したマスクであったがやがて「花粉症」の流行により、再び注目を集めるようになる。概ね現在の形になったのは、昭和23年ごろからであるとされる。

 そして、2020年には、世界中の市民がマスクを着けるにいたった。

 日本は以前からマスク大国であったが、それは19世紀の後半になってからのことのようである。

 1870年代の黒マスク(レスピラートル/呼吸器)はイギリスから、1899年の「ペスト流行」の際の白マスクは、ドイツからそれぞれ導入された。

 その後も、スペイン風邪、大気汚染、花粉症など、日本ではマスクは身近な存在でありつづけている。


写真: 「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2020.8.1>より転載。同視聴者センターより許諾済。

「横尾忠則現代美術館」左側に「兵庫県立横尾救急病院展」の懸垂幕


美術館スタッフによる白衣を着用。「病院」さながらのパフォーマンス風景



病院内<美術館内>の一室 横尾忠則氏作品を病室の壁沿いに展示