朧は儚く妖艶に―歌人が感じた世界
https://hobbytimes.jp/article/20170220d.html 【朧は儚く妖艶に―歌人が感じた世界】
「朧」は千年の昔から和歌や物語によく登場する言葉です。歌人・大江千里は朧の月をこよなく愛したことの証に歌を残し、紫式部に至っては「朧月夜」という女性を源氏物語にまで登場させています。
俳句の世界での朧は春の夜の季語です。先人たちにとって「朧」とはどのようなイメージで、どのように和歌や物語に登場していたのでしょうか。
歌人が感じた「朧」の世界
「朧」のあとに続くものとして、まずあげられる言葉として、「朧月、朧夜」があります。 月をこよなく愛した平安時代の漢学者で歌人でもあった「大江千里」。 小倉百人一首にも選ばれている有名な歌があります。
『月見れば ちじにものこそ悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど』(大江千里/古今集)
月を詠んだ傑作の呼び声高い一句です。
この歌は秋の寂しさを詠んだ歌、十五夜の月が秋であるように俳句の世界での「月」はやはり秋の季語です。ところが「朧月夜」になると春の季語になります。注意しておきましょう。
朧とは、ぼんやりと潤んで見える様子。またよく歌に詠まれる「朧月夜」とは、霧や靄などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月のことです。
月を愛した大江千里が詠んだ「朧」の歌はあの有名な源氏物語でも使われていました。
源氏物語でも朧月夜はやはり妖艶だった
『照りもせず曇りもはてぬ 春の夜の朧月夜に しくものもなき』(大江千里/千里集)
明るく照っているわけでもなく、暗く曇っているでもない春の夜の月、この朧月夜に匹敵できようものなど何もない。
「朧月夜にしくもの(似るもの)もなき」は源氏物語では、『朧月夜に似るものぞなき』と引用して使われています。
源氏物語に「朧月夜」という女性が登場します。彼女もまた妖艶な?みどころのない、掴んではいけない対象として登場しています。物語の中で朧月夜に恋をしてしまう光源氏。ところが、朧月夜とは実は源氏の敵方にあたる右大臣の娘です。決して許されぬ朧月夜との恋が発覚し、源氏は須磨に流されてしまうのです。
どこか寂しく報われない恋、秘密の恋、許されぬ恋に源氏が身を滅ぼすといった、ぼんやりかすむ春の夜の妖艶な女性が朧月夜という女性だったのです。
先人たちが残した源氏物語の朧月夜の歌を紹介します。
『よき人を宿す小家や朧月』(与謝蕪村/蕪村句集)
『其夜又 朧なりけり 須磨の巻』(夏目漱石/漱石全集)
『ある夜更けて 貴人来ます 朧哉』(正岡子規/寒山落木)
先人も、そのまた先人も今と同じように源氏物語を読み、感じたことを俳句にしたためています。
時代が移り変わろうとも、ともに理解できるものがあることの素晴らしさを改めて実感できる瞬間です。先人たちの歌を鑑賞すると確実にそこには歴史があり、今につながっているということがとても素晴らしいことなのです。
歌にはそんな豊かな人生を彩るパワーがあります。先人たちの歌の世界の中で自分の人生が輝き始めます。
寂しい恋の象徴として描かれる朧月
春の季語でもある朧月、秋の月と同様に月には何故、寂しさが宿るのでしょうか。 朧月を季語とした歌を紹介します。
「朧月 一足づつも わかれかな」(去来/炭俵)
向井去来(むかいきょらい)は芭蕉の弟子の一人です。10人の弟子の中に入る十晢の弟子です。
ここでは「朧月」と「別れ」という言葉を引き合わせ寂しさ、切なさを演出しています。一足づつ別れに近づいている、そこにはっきりとしないかすんだ月が出ています。 先が見えず、別れに一歩づつ近づいているという心境でしょうか。向井去来の歌の「朧月」は寂しく切ない別れの歌として登場しています。
「手をはなつ 中に落ちけり 朧月」(去来/泊船集)
互いの手を離せず別れを惜しんでいる間に霞みがかった月もすっかり落ちてしまった。
去来の描く朧月夜の世界はあまりにも寂しく、その寂しさや切なさがまた人の心を打つ歌として語り継がれているのです。
旅に命を捧げた芭蕉が表現する朧
弟子の去来の表現する「朧」はやどこか切なく寂しいものでした。それでは旅に命を捧げた芭蕉が表現する「朧」とはどのようなものだったのでしょうか。
「辛崎の松は花より朧にて」(松尾芭蕉/野ざらし紀行)
唐崎の松は桜の花よりおぼろげである。とストレートに詠んでいます。唐崎とは琵琶湖の南西岸にある松の名所でした。現在、唐崎神社の境内に立っている立派な松が、この時芭蕉が詠んだ唐崎の松です。
戦国時代にはもう一つ別の物語が残っていました。ここには坂本城があり唐崎の松がなくなってしまったことを惜しみ城主である明智光秀がこの地に松を植え歌を残したと言われています。 はるか平安時代より戦国のこの時も、歌枕の地として多くの歌人や文人が訪れ歌を詠んでいたのです。
月とは、遠く平安時代から人々が想いを打ち明け、願いをかけた象徴です。闇を照らす月、夜にしか会えない愛しき人。月は決まって寂しさや恋と一緒に表現され、寂しく儚い象徴として歌に詠まれています。時代が変わってもそれは今も変わりません。
先人たちが月に残した想いが、今もまだ私たちの心にも深く残っており、そのため月が寂しいと感じるのは今も昔も変わらないことなのです。