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郷愁の風景

【東京都】氷川(西多摩郡奥多摩町)

2020.09.02 04:54

青梅線の終着駅である奥多摩駅は都心から2時間で距離にして北西70㎞強、都市部と同じ通勤用の車両に乗って行くが、降り立つと周辺は山峡の小さな村といった感じで、同じ東京都内とは思えない風景だ。

奥多摩駅周辺の氷川地区は甲州裏街道(青梅街道)の宿場町として発展、多摩川支流の日原川に沿って日原街道が枝分かれする形で伸びている。

近代に入ると日原で石灰石の産出が行われ、京浜工業地帯への運搬のために青梅線が昭和19年に奥多摩駅(当時は「氷川駅」)まで延伸、戦前から戦後にかけて小河内ダム建設のための物資運搬も兼ねた。

そのため、日原街道沿いに見られる古い街並みは宿駅としてよりは、むしろ鉱山町として繁栄した名残りのイメージが強い。

奥多摩湖や日原鍾乳洞などの観光拠点ではあるものの、車利用が多い昨今はむしろ素通りされ、観光地の駅前にしては寂れた印象である。


【東京都】奥多摩駅(西多摩郡奥多摩町)202008 

東京都の最果てにある西多摩郡奥多摩町の基幹駅。 

立川で青梅線に乗り継いで1時間強、都心からだと2時間軽く超える、東京で最果ての終着駅だ。  

石灰石を求めて奥多摩渓谷を奥へ延伸しできたのが奥多摩駅で、昭和46年までは「氷川駅」という名だった。 

駅を降り立ち、ホームの端まで進むと、砕石を作っている奥多摩工業のプラントが見える。  

線路はホームの端で途切れているが、かつてはその工場まで引込線が伸びていた。

奥多摩駅の山小屋風駅舎は昭和19年開業当時の外観そのまま。

着工当初は戦時色があったとはいえ切羽詰まったわけでなく、貨物輸送だけでなく登山やハイク目的の旅客輸送も想定していたと思われる。

やがて戦局が悪化し山小屋どころでなくなるが、石灰石運搬のため鉄路の完成が最優先されて突貫工事、その間とても駅舎を変更する余裕がなかったのだろう。 

そのドサクサに紛れて、当初の想定通りの山小屋風駅舎のまま完成したのではないか。


【東京都】青梅街道氷川宿(西多摩郡奥多摩町)202008 

奥多摩駅周辺の氷川地区は、かつて青梅街道の宿場町として繁栄、五街道の一つ「甲州街道」の裏街道でもあり、甲府との交易も盛んにおこなわれていた。  

街道沿いには本陣や旅籠などといった宿場町の名残りは残されていないが、近代に入ってからの産業を支えたであろうか、土蔵を両脇に控える海鼠壁の大きな商家が残っている。


【東京都】氷川集落(西多摩郡奥多摩町)202008 

青梅街道から枝分かれして、多摩川水系の日原川に沿って北へ伸びるのが日原街道。 

観光地にもなっている鍾乳洞に向かう道だが、もともとは日原で採掘される石灰石の運搬に用いられていた。 

日原街道に入ってすぐに細い裏道があるが、これが古い街道で、二階に欄干がある古い町家や土蔵などが続いている。 

 鉱山で働く人たちが行き交い、賑わいを見せていたのだろうか。 

現在は車の普及もあってか観光客は素通りするせいか潤っている感じに見えず、鉱山町としても寂れた印象で、人通りがなく閑静な佇まいを見せている。