「わるいむし」:本編沿い2期後 / 組織のモブに言い寄られるフェルトと無自覚嫉妬の刹那さん
刹那の発言がいつも突拍子もないことは、全くもって周知の事実だと思う。ラグランジュポイント、ソレスタルビーイングの秘密ドッグに、俺たちトレミーのクルーが一時的に滞在していたときの出来事だ。
「虫が出たな」
届いたばかりのカタロン横流しフラッグを、これからどう料理していこうかっていう、そんな真面目な議論の真っ最中。
搭乗者である刹那・F・セイエイが唐突にそんなことを言うものだから、机を囲んでいた者たちはそろって怪訝そうに顔を見合わせた。
刹那は依然として、ミーティングルームのガラス張りの壁を見つめたままだ。壁のすぐ外側はフリーアドレスのオフィスになっていて、グレーと白のノーマルユニフォームを身につけた大勢のスタッフたちが、きびきびと忙しく立ち働いている。
「宇宙に虫?」
誰かがタッチパネル用のペンをくるくる回しながら、呆れたように聞いた。
「出るときは出るんだ」
あろうことか。
そうどこか不機嫌そうに言って立ち上がり、奴はとっととミーティングルームを出て行ってしまったのだ。
*
「やあフェルト」
「あら」
「すごく久しぶりだ。そう思わない?」
「ええ」
「その後、なにか変わりない?」
「なんにも」
「なあ、積もる話がたくさんある。今夜ふたりで会おうよ」
「…ごめんなさい。仕事が多くて、今日も遅くなりそう」
「相変わらず真面目だなあ。せっかくベースに戻ってきたっていうのに冷たいんだ」
「そういうわけじゃないんだけど」
「いいじゃないか、もう二十歳だろ。俺の部屋でお酒でも飲もうよ」
「あの、」
ぴたり。
ミーティングルームを出た刹那の足が止まった場所は、そんな男女の会話の渦中だった。
「うそだろ」
追いかけた俺は心の中で呟いたつもりが、声に出して言っていた。多分、後に続くクルー各位も同じ気持ちだったと思う。
「ああマイスター、なにか?」
金髪の、なかなかに目鼻立ちの整った優男が、突然現れた刹那に向かって突っかかった。口ぶりは平然としているが、その整った青い瞳は全然笑っていない。当然だ。デートのお誘い真っ最中、あと少し押したらイケるかもってところで、思ってもみない邪魔者が入ったのだから。
「いや、別に」
フェルトと金髪男の間に割って入った我らがエースパイロットが、全く愛想のない口ぶりでそう言った。その声が普段と全く変わらない抑揚のないものだったので、俺たちはまた顔を見合わせた。少しばかり拍子抜けだ。
金髪男は刹那とフェルトの顔をまじまじと見つめると、「はーん、なるほどね」と下世話な目つきをした。
「ガンダムマイスターだからって、オペレーターを好きにしていいっていう規定はないはずだよ」
「それはその通りだな」
刹那の声には相変わらず、色というものがない。怒りや苛立ちのようなものもない。
「…なんなんだよ」
そんな意味不明男に痺れを切らしたのか恐れをなしたのか、金髪男は派手に舌打ちをするとオフィスを出て行ってしまった。
*
「フェルト、ランチ一緒にどう?」
「グレイスさん、よかったら二人でお茶しようよ」
「ミス・グレイス、今シアターブースでやっている映画なんですが、」
「「「ああ、マイスター、なにか?」」」
トレミークルーがベースに戻って早数日。
何度俺たちはこのやりとりを目撃したことだろう。
「…ああいうの、なんて言う?」
肩肘をついたスメラギ・李・ノリエガが、ぼそりと呟くように言った。
「…”木っ端微塵”?」とミレイナ。
「”一網打尽”!」とラッセ。
「…”害虫駆除”」
こう言ったのはライル・ディランディ。俺だ。
「それですぅ」
「それだ」
「それだわ」
ランチどき、カフェテリアに居座る俺たちの視線の先には。
フェルトに何やら話しかけていた男を、再びあの謎の圧力で制した刹那・F・セイエイで。
「ああまでするかね、刹那も」
「あからさま過ぎてびっくりですぅ」
「ガードが鉄壁すぎて付け入る隙がない…」
皆が口々にそう言う中、俺は大きくため息をついた。
「昔、妹に近づく男をことごとく追っ払ってた兄さんそっくりだ」
ランチどき。遠くカフェテリアで並んで食事をとる、青いのとピンクいろ。
「スメラギ・李・ノリエガ。補給と打ち合わせは早いとこ済ませたほうがいいかもなあ。『被害者の会』が設立される前に」
俺がそう言うと、彼女は困ったように肩をすくめた。「そうねえ」と言いつつ、彼女の瞳はこう語っていた。
「もうちょっと見てたいよね、ホントのところ」
おせっかいな大人だ。
*
「お前、この状況を楽しんでるだろ」
俺はすたすたと廊下を進む刹那に並走しつつ、そう釘をさした。
「何の話だ」
愛想もなければ抑揚もない。刹那さまときたら相変わらずのこの調子だ。
「タチ悪い。お前なあ」
奴が立ち止まる。俺も一緒に立ち止まる。
「そんなにフェルトに他の男が寄り付くのがいやなのか」
壁に据えられた自動販売機から、水の入ったボトルが刹那の手に落ちる。ボトルを開け、一口飲み干すと、奴は俺の方をちらと見る。
「だったらもっと彼女にー…」
俺の言葉はそこで途切れた。刹那の右手が、俺の頭のすぐ横で、素早く何かを掴むような仕草をしたのだ。
「…だから何の話だ」
開いた刹那の手の中には、小さなハエの死骸が転がっていた。