胎児について②
胎児には母体の暮らす世界が見えています。
胎児のその時点での細胞構造が光に反応し、母親の体内の細胞構造内に眠る潜在的能力を活性化させ、母親の体に助けられて外界を見るのです。
胎児が目にするのは、はっきりとした輪郭のあるイメージではありませんが、既に物の姿かたちという観念を築き始めています。胎児は瞼を通して見ることができるのです。
胎児は母親が見えている以上に見えています。というのも、母親はある種のパターンのみを受け入れ、他のものは受け入れていない、ということを胎児はまだ理解していないからです。
誕生するまでに、胎児は現実とはどんなものか、という両親の考えを受け入れることを既に学んでいます。
それは特定の現実に焦点が合っているときにのみ自分の存在が認められ、欲求が満たされるからです。つまり、役に立たない現実界を捨て去ることを素早く学習するのです。
また、子宮内にいる間に胎児は聞くこともでき、ここでも同じことが当てはまります。
胎児には母親が受け入れていない現実の領域内の音も聞こえます。誕生してからも、そうした音や声はまだ耳に入ってきますが、それらが肉体的要求に応えてくれることも、泣いてもミルクを持ってきてくれるわけでもないので、次第にそのような音や声を無視するようになるのです。
誕生後もしばらくの間乳児は、一度に数多くの現実界を知覚しています。
乳児の意識がはっきりとしていないように見える理由のひとつは、入ってくる情報が膨大なために、混乱しているからです。その子や状況にもよりますが、胎児は過去に知っていた人たちからのメッセージを受け取っている場合があります。そうしたことはさらに混乱に拍車をかけますが、物質界での生存がかかっているために、そうしたメッセージの大部分を無視してしまいます。
例えば胎児は気温の変化や天気にかなり敏感に気付いています。
動物や他の人たちとテレパシーでコミニュケーションを取ったり、植物やその他の意識存在とも一種の意志の疎通が行われています。
植物は、堕胎にはかなり激しく反応するものですが、胎児は家族に飼われている動物の死にも反応します。
妊娠6ヶ月になるよりずっと以前に、家族内の無意識の精神的関係をも理解するようにもなります。
また屋内の植物も、成長しつつある胎児にはっきりと気付いており、家族の一員が病気の時も、肉体的兆候が現れる前に、その事実を感知することもよくあることです。植物は、細胞構造内の意識に対して、それほどの敏感性を持っています。また胎児の性別もわかっているのだそうです。