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東北地方の伝説

2020.08.30 14:27

東風吹けばつぎつぎとアラハバキの灯  五島高資

https://blog.goo.ne.jp/inehapo/c/c24db6c98db2b0488a4e5309dab36eac/1 【登喜盛の長者屋敷清水】  東北地方の伝説(岩手県) より

大昔からこの川の水系から湧き出る清水は、7つの石英安山岩質の岩の割れ目から、湧き出ている蔵清水という。

蔵は岩のこと。

地元の伝承より、大正時代、ある夫婦が蔵清水の祭りのお参りをしようとした2日前、

夢に女神が現れた。

「長者屋敷の丘の蔵清水を支配する女神と言い、7つの蔵清水が湧いているが、これらの清水はその昔、この地を愛し、自然と共に生きてきた縄文人が暮らしていた。この水は飲んでもおいしいし、病気や目が治る水でもある。しかし、近頃のマトーの人たちは、そのことを忘れ、丘は荒れ、参道も悪路になっている。なのでお前たち夫婦に白羽の矢を立てた。蔵清水の管理をお願いしたい。」と言ったそうだ。

そのご宣託を受けた夫婦は、別当職につき、補修工事をした。それから、蔵清水のご利益を聞いた人たちが集まってくるようになったそうだ。

元々信仰のあった場所に、霊場を開いた巫女がいたことを物語るものですが、7つの蔵には、7つ井戸といったように、全国にも7か所に井戸を置く話がよくあります。

長者屋敷伝承にある「神子田多賀康の娘「岩花」を家宝のお釜とともに、幽閉した」というのがありますが、「神子」という名前から、岩花はイタコのような巫女だったと考えられます。

お釜とは、水分神との事。水と岩の関係というのは、かなり深い意味がありそうです。

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長嶺神社に祀られている猿田彦神について妄想したいところですが、この場合の猿田彦は、猿ではなく「申」の意味かもしれない。

例えば、「岩の割れ目から湧き出る蔵」というのは、女岩であり女陰石のシンボルです。

その岩の割れ目から誕生した話が、中国四川省と雲南省にあります。それが登場してくる禹(う)の一族なんです。

神という文字は、「申(しん)」から由来します。その「申」は渦巻きです。  隼人の盾

いろんなところで、禹が繋がってきますが、これが「水」のことをさす。

荒れ狂う水。荒申で、荒神(こうじん)。申と猿は別ですが、「猿」は水が荒れるものと考えられている。

エミシ征伐やアイヌ人がいた場所に、よく「猿」の名前がつく岩がいくつかあります。

猿跳岩、猿鼻、猿岩、猿ヶ石川、沙流川など。

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さて、その国見町の話と似ているのが禹の伝承にもあり、熊が登場する。「四川岷江上流の禹の神話」の公開講座の資料より。

「漢書」巻6武帝紀

啓は禹の子である。禹が鴻水工事を行い、?轅山(かんえん)を開通させていたとき、

熊の姿だった。禹は妻に「合図の太鼓の音が鳴ったらメシをもってきてくれ」と言った。

禹は石に躓き、その石が太鼓にあたった。妻は合図だと思い、やってくると熊の姿を見た。

妻はそれを恥じて崇高山の麓まで逃げ、そこで石と化し、啓を産みおとすところだった。

追いかけてきた禹が「わが子を返せ」と叫ぶと、石は北方に破れ、中から啓が出てきた。

古代ギリシャでは女神が熊の姿をしている考え方があり、何千年にもわたって伝説に残され、クレタ島でも熊の聖母が生き残る。

洞窟で熊の女を意味する祭りが行われている。

中国では、クマは、男性のシンボルであり、男の子の誕生を予告する陽の表現だとされる。

クマは、自分のすみかの山と関係があり、ヘビ(水に対応する〈陰〉)と正反対である。

せいぜい、雄のクマを雌のクマに相対的に対置させたことを表す。

また、錬金術の用語では、クマは、本能と進化の最初の相に対応する。

その色は、第一質料の黒である。※Bear(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/bear.html)より

ということで、「黒い姿」や男鹿半島のナマハゲがコウモリという黒い姿であることも

世界中でクマを神格化してきた大地母神を「クマ」にしているわけです。

伝説より、禹は羌族出身で石紐から産まれたとある。

石紐とは、岩間の窪みのことで、岩塊中より生まれた人は死して再び岩塊中に

帰ると信じられてきた。

これを岩間葬(がんかんそう)と言って自然岩の亀裂部分を利用した特殊な墓葬。

五帝時代、帝舜が少数民族である禹を抜擢したことから、治水に活躍。

帝位の継承を受け、最後は長江下流の会稽で没した と伝わります。

それから禹は治水の聖王と呼ばれ、英雄として伝説に残されるのです。

禹の治水方法は、自然の景観をそのまま残し、渓谷の流れを利用して治水を行ったそうです。(具体的には不明)

今のように、ダイナマイトで爆破して水脈を変えるやり方ではない。

例えば、楽山大仏もそうですね。巨大な大仏を作ったのは、濁流の流れを変えるためで、これがダムの発祥です。

これが、長江上流の金沙江。雲南省の虎跳峡。(Wikipedia)

すさまじい大河です。「金沙」が、「カナサナ」みたいだね~。

雲南の峡谷地帯を流れる金沙江。(Wikipedia)

ひゃー,ふかっ(・∀・。)

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岩の割れ目から」清水が湧き出るのを神格化した岩信仰とは、禹の岩間葬がルーツにあると思います。

また、なぜこの場所で治水が行われたかというと、やはり地震が非常に多いところだったからです。

2008年四川大地震で岷江(びんこう)が震源地でした。

都江堰と岷江(古代の水利・灌漑施設:Wikipedia)

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渡来人は、大陸から渡ってきているので、中国北部の禹一族の話を聞いていたと思います。

また、それを継承した人が日本へやってきて、稲作と治水工事を行ってきたと思います。

そのような人たちは、雷を信仰してきました。

イナリは「鋳なる」で鉄を打つ意味もあります。

新しい鉄の技術と稲作をもたらした雷となっています。