知るとき
高校生のとき、僕は顔面を骨折した。下顎骨骨折、というのが正式な名称だった気がする。
他人の膝が入り、僕の顎は見事に破裂したわけだけど、よく失神せずにいられたな、と思う。そのままプレーを続けようとして立ち上がってはみたものの、明らかに上の歯と下の歯が違う場所にあって、顔が曲がっているのが自分でもよくわかった。ボールが自分の方向に飛んできたとき、頭で触ってはダメだと本能がボールを拒否した時点で、僕は諦めてピッチの外に出た。
練習場から家までは、電車とバスを乗り継いで1時間以上はかかる。電車の中で明らかな異変に気が付きながら、自力で家に帰り、鏡を見た瞬間に「これは普通じゃない」と思った。それと同時に、両親は僕の顔の腫れ方に驚愕し、日曜日の緊急病院へ車を走らせた。その辺のことは、よく覚えていない。
レントゲン室の中は、外から窓を通して中が見えるような作りになっていた。僕のレントゲンを見ている女性のレントゲン技師さんが、わかりやすく、目を見開いて顔をレントゲンに近づける。あんなリアクション、ドラマでしか見たことがない。「痛みますか?」と当たり前のことを聞かれ、「折れてますか?」と回答した僕に対して、「詳しくは担当医から聞いてください」と、イエスを言わずにイエスを伝える彼女の、イエスを読み取った。担当医の前に座ると、「折れています」と、ど素人が見てもわかるレントゲンを見せられた。
次の日、紹介された病院で再検査をすると、「入院をして、手術です」と言われた。数週間後に人生で一番大きな舞台で行われる試合を控えていた僕は、出れますか?と聞き、鼻で笑われる。あの試合のためだけに頑張っていたのに!…と暴れることもなく、冷静に状況を受け止めることが出来たのは、多分、自分には必要な出来事が起きているのだ、と、そんなことを思っていたからだと思う。
ボルトを入れる手術と、ボルトを抜く手術を、2回した。全身麻酔。手術の前には人生でいちばん痛い経験を口の中で経て、手術の後には鼻から栄養を入れ、口を開けず、病院で退屈な日々を過ごした。
人間は、何かを「知るとき」があるなと思う。「気付く時」と言ってもいい。僕はその入院中に、自分がサッカーを猛烈にやりたいと思っていないことに気が付き、それよりも何か義務感や、焦りのようなものが頭を支配していることに気がついた。その時に、僕は高校を卒業したらサッカーをやめるんだ、ということを知った。知ってしまった、の方が近いのかもしれない。小さな頃から続けていた、それだけをしていたようなものを、後少しでやめることになる。やめたら、なにをしたらいいんだろうと、その時に初めて考える。もちろん、なにも浮かばなかった。
顔が少し曲がってしまってそれ以来写真に写るのが嫌になってしまったこととか、口をあけるリハビリが長期間苦しかったこととか、歯茎にワイヤーを通すのが痛かったとか、そういう類の苦しみよりも、何かを「知ってしまった」ときの寂しさの方が、よっぽど大きかったように思う。もちろん、当時はそんなこと他人に言えるはずもなかったんだけど。
あの時、長いこと入院をして、手術をしていなかったら、今の僕はどうなっているんだろう、とたまに思う。そんなこと考えるだけ無駄なのはわかっているけど、何か人生に静寂のようなものが訪れた時、僕はたまに過去を振り返る。いま、僕の人生には静寂が訪れていて、ある意味入院をしている時よりも、静かで不気味な波の中を生きている。決して心地が良いとは言えない、静寂。多分また、10年後くらいに僕がまだ生きていたら、今のことを思い出すのだと思う。あの時、もし普通の暮らしをしていたら、どうなっていたんだろう、と。
2020年は、いろんなことを知ってしまった。それがポジティブなものでも、ネガティブなもので、あの時と同じ寂しさのようなものを覚える。人間はきっと、死に近づくに連れて多くのことを知る。そのたびに、ある種の寂しさを伴う。
そう考えると、この寂しさは、ぜんぜん悪いもんではないなと、思う。