「保守主義」とは何か?
「保守主義」(Conservatism)とは、一体何なのか?
日本における「真正の保守主義者」である、中川八洋(やつひろ)筑波大学名誉教授の著書『保守主義の哲学』(PHP研究所)より抜粋してご紹介します。
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「日本は明治維新以降、欧米思想の大輸入をやったにもかかわらず、保守主義の思想家はひとりも現れなかった。あえて保守主義的思考をする知識人を挙げるとしても、井上毅と與謝野晶子の二名ぐらいしかいない」(p.4)
「日本の学界が英米の保守主義思想を極度に無視する傾向は、今日でもまったく変わっていない」(p.3)
「『自由を擁護する保守主義系の、真に偉大な哲学者たち』のほとんどが日本では学校の教科書から消されている」(p.382)
「保守主義が米国政界に完全復活したのは、バーク主義者であったレーガン大統領の1981年の誕生の時であったから、180年間というあまりにも長い、アメリカ政治の中枢における保守主義の冬眠は、米国自身だけでなく世界人類全体にとって大いなる“負”となった」(p.64)
「保守主義」とは
「保守主義の政治哲学は、……あくまでも英米のそれであり、英米のコモン・ローの法思想と一体となって発展してきたもの」(p.4)
「保守主義の政治思想は、“美徳に満ちる自由社会”を創造することにある」(p.43)
「真正の保守主義者は皆、『過去にとどまる』ことはしない。『保守主義』という言葉から誤解されやすいが、あくまでも未来に国民を導くべく、新しい堅固な道路を未来に向かってつくることに精を出す」(p.94)
「『平等を可能な限り排斥する』ことによって『自由を可能な限り擁護する』という積極的な『平等』否定の保守主義イデオロギー」(p.283)
「正統な自由擁護の思想は必ず、“反・平等の哲学”と不可分である」(p.288)
「アトム化された孤独な『大衆』の存在を最も危険なものとして、この『大衆』を除去して『中間組織』を再生せんとする保守主義思想」(p.202)
「保守主義は祖先を崇敬し未生の子孫を愛し祖国への自己犠牲をいとわない過去に実在した真正の“貴族”を理想とする」(p.175)
「保守主義」と「全体主義」
「保守主義とは、……全体主義に対してそれを決して許容しない、僅かも寛容であることができない思想である」(p.184)
「保守主義は、保守主義に敵対する全体主義イデオロギーとの思想闘争を義務と考える」(p.235)
「保守主義(もしくはその周辺の哲学)は、全体主義との戦いにおいて構成された思想であって、それ自体で思弁的に作られた思想ではない。このため、保守主義思想を研究する場合には、それが『敵』とした全体主義の研究を決して欠くことができない」(p.185)
「保守主義者はすべて反共者だが、反共者は必ずしも保守主義者ではない」(p.203)
「保守主義の思想なしには、1990年代に入るや日本中で全体主義革命の大規模な運動が“イデオロギー内戦”の形で始まったことが決して見えてこない。日本の反共思想は冷戦の終焉とともに機能停止になってしまった」(p.207)
「単なる『保守』から、真正の『保守主義者』へと、日本の知識人は自己鍛錬すべきである」(p.207)
以上、これからさらに詳しく「保守主義」について、また、「保守主義」の「敵」である「全体主義」について紐解いていきたいと思います。