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純情ヒエラルキー

「四度目の哀歌」:本編沿い / イノベイターに発情期があったら

2018.12.31 15:00


  たった三度だけ。

  たった三度の行為だけで、本当にその人を理解したことになるのだとしたら、それはなんと不義理なことだろうか。



四度目の哀歌



  一度目に起きたその衝突的な行為を、彼女はあまりよく思い出すことができない。それは言葉通りに事故的な行為で、言葉通りに体と体がぶつかっただけの行為だった。きっと彼女を白い壁に押し付けた刹那自身も、思い出したくもない荒々しいセックスのひとつとして、記憶の奥底に封じ込めるか、あるいは一刻も早く忘れたいと思っていたことだろう。

  けれど二度目は起きた。二度目のそれは、一度目の衝動的なものと比べると、少しばかり契約めいたものを感じさせる行為だった。「本当に良いのか」と問いかける赤茶色の瞳に、いつもとは違う欲望の色を認めたその時、彼女は静かに肯いていた。いいも悪いも、致し方ないことなのだった。

 ( そして )

  彼女はスリップを脱ごうと肩紐に手をかけた。

 ( 三度目が起きようとしてる ) 


 「どうすればいいのか教えて」

  フェルトがそう言うと、刹那は目を細めた。薄暗い部屋の中で彼女の身体だけが光を発しているかのように、刹那はベッドに腰掛けて彼女を見上げていた。 

「隣に来てくれ」 

 刹那が静かに言った。彼女は言う通りに、彼の左側に腰掛けた。むきだしの腿がシーツの冷たさを知るか知らないかのところで、彼の左手が彼女の腰に伸びていた。口付けられ、こめかみからうなじへ熱い吐息が伝っていき、彼女は身震いした。

 「これで最後になると思うんだ」

  刹那が耳元で彼女に囁くように言った。彼女は自分の腰に触れる彼の熱い右手が、耐えられないと言わんばかりに震えていることに気付いていた。

「そう」と彼女は答えた。『これで最後になると思うんだ』。 頭の中で刹那の声が否応なく鳴り響いた。だから耐えてくれないか、そういう響きを感じさせる言葉だった。

「足を開いてくれ」

 刹那の声が変わらず平淡なのは、彼女への気づかいもあるのかもしれなかった。でも彼にこんなことを命じられる日がくるなんて、彼女は今まで思ってもみなかったし、そのような気づかいはもはや場違いで他人行儀なもののように思われた。言われた通り、足を少し開いて仰向けになり、二つ重ねたピローの上に、頭と首を深く預けた。

「ありがとう」

 おそらく彼は、彼女が彼の思うように体勢を整えたことに対して礼を言ったのだろう。彼女に覆いかぶさると、彼の薄い唇はまた彼女に深い口づけをした。足の間で彼の欲望が確かに渦を巻き、屹立して解放の瞬間を待ちわびている。ショーツ越しでも感じ取ることができるその熱に、フェルトは身をわずかによじった。『これで最後になると思うんだ』。

( そう、『これで最後』なんだ )

 フェルトは目を閉じた。一度目の行為の時には決して感じることのできなかった、じくじくとした腰の疼きが、雑音のように彼女の思考を苛んだ。

 一度目の行為には痛みとわずかな喜びしか残らなかった。彼女は処女だったし、欲望に支配された彼の行為はあまりに唐突で、心構えのひとつ許されなかった。目覚めたときの気だるい体、ベッドの端に腰掛けて頭を抱える刹那の、悩み苦しみ抜いたであろうあの表情。フェルトにはよく分からなかったが、おそらくイノベイターである刹那の身体には『そういう時期』があり、今がその『時期』の真っ最中なのだった。その嵐の、瞬間風速の最も強い一瞬に、彼女は偶然居合わせ、巻き込まれたに過ぎなかった。やがて持ち前の物分かりの良さで、その『時期』は、おそらく女性の月経に当たるようなものなのではないだろうかと、フェルトは鈍い腰をいたわりながらぼんやりと思うようになった。抗うことのできない生理だが、やがて時間が解決する。そう考えれば、二度目を拒む理由は、フェルトの思う限り、ほとんど見当たらない。

 二度目も早急な行為ではあったが、それは一度目と比較すれば大きく異なっていた。もつれるように巻き起こった一度目はさておいて、二度目は双方の合意を得た上での行為だった。彼なりに彼女の身体の負担を思いやるゆとりがあって、フェルトもそれなりにこの行為が円滑に行われるようにと努力を試みた。もしかすると、そんな彼女の努力そのものが、彼にとっては想定外だったのかもしれない。

 二度目の行為の最後、彼女がオーガズムのようなものに到達したとき、彼は驚きを隠し得ないという顔をしたのだ。


「フェルト」

 褐色の掌が絶え間なく、彼女の肌のとりわけ柔らかな箇所を愛撫する。その度に打ち震えるような快感と喜びが、彼女の脳を支配し、ただひとつの感情を心に焼き付ける。

「…んっ…せつ、な…」

 こんなか細くて情けない声が、まさか自分の口から出るだなんて、フェルトは彼に抱かれるまで知りもしなかった。

 彼に支配される。鍵のかかった扉をこじ開けるような愛撫を受け、揺すぶられ、その力強い腕に抱きすくめられる。

 それがこんなにも心満たされる経験だったとは。

 だから、そう。

 この三度目の行為を迎えるのが、フェルトはひどく恐ろしかった。二度目の行為のとき、快楽の頂点に到達して、あろうことか刹那の首に腕を回し、力の限り彼を抱きしめた自分が、彼女は憎らしかった。

「痛みがあれば言え」

 いつもと同じ朴訥とした言葉使いだったが、その吐息は熱かった。彼の屹立したものが、露わになった彼女の秘所に当てられたとき、刹那は微かに息を飲んだようだった。

 自分を見下ろすその赤茶色の瞳から、生まれて初めて、心の底から逃れたいと、フェルトは思った。

「…っふ、…」

 彼の躊躇いの理由は、彼女が一番分かっている。彼のものが自分の中に入ると考えただけで、彼女のそこは自分でも予想がつかないほど、彼を招き入れる準備をしてしまったのだ。彼女は身をよじり、恥ずかしさに手で自分の顔を隠した。

「…入れるぞ」

 返事ができなかった。

 一度目は言うに及ばず、二度目よりも更に潤いに満ち満ちたそこが、ゆるりと刹那を受け入れる。刹那に抱かれた太腿が、自分の意思とは関係なく、びくびくと震えるのを、フェルトは感じていた。

 刹那はフェルトの頭の脇に片肘をつくと、ピストン運動がしやすい体勢を探しているのだろう、ゆっくりと上体を彼女の方へと屈めた。たっぷりと濡れそぼった秘所はそんなわずかな動きにも着実に反応し、刹那を捉えて離さない。

 刹那がゆっくりと、だが的確な動きで抽挿を始めた。その動きは欲望を吐き出すためだけの、激しいだけの一度目とも違う、義務的な、マニュアルめいた二度目とも少し違う。まるで彼女の感じるところを、いよいよ腰を据えて探してやろうという、そんな心構えを感じるような腰つきだった。

「っは、…ん…」

 抑えようと努めても、しきりにこぼれる享楽の声が、フェルトの胸を引き裂いた。

『これで最後になると思うんだ』

  刹那はそう言ったのだ。

( なんで、どうして、)

 刹那は彼女の頭を抱えるような体勢になって、ゆっくりと腰を動かしながらも唇で彼女の胸や首筋を甘く愛撫する。彼女のたまらない箇所を的確に突くその腰つきと、触れ合う肌と肌から匂い立つ湿った甘い香りに、頭の中が真っ白になるような感覚が彼女を襲う。

( どうしてこんな風にするの? )

 もしかしたら刹那なりにセックスへの好奇心があって、一度目や二度目とは異なる行為を、彼なりに探求しているだけなのかもしれない。けれど、『これで最後』ならば、刹那はなぜ、こんな風に彼女を抱くのだろうか。二人の間に確かに存在する、決して埋めることのできないへだたり、その空虚をぴったりと埋めようとするような残酷な行為を、なぜ今になって彼女に押し付けるのだろうか。  

 これではまるで、なにも手がかりのない大海原へと、彼女をひとり放り出そうとしているようなものだった。

「あっ…や、あっ…」

「…フェルト、」

 大丈夫か、そう耳元に囁く声すらも、今のフェルトにとっては毒だった。彼自身も限界が近いのか、彼女の中で張り詰める彼自身が、より一層の激しさをもって彼女の奥を穿つ。その度に、彼女の翡翠色の瞳に透明な涙が浮かぶ。

( 刹那は何にも、分かってない )

 彼に揺すぶられ、その清い肉体の全てを暴かれながらも、彼女はそう思った。そうだ、何にも分かってない。自分が与えてきたもので、フェルトがオーガズムに達するだなんて、刹那は夢にも思わなかっただろう。だけど二度目でそれが起きたとき、そのときに、刹那は気付くべきだったのだ。


( わたしは最初から、一度目のときから、刹那を拒絶なんてしてない、)


「ひ、あっ…あっ…!」

 激しさを増す彼の揺さぶりに、フェルトは耐えきれずその腕を伸ばした。彼を抱きしめ、むき出しの肩に顔を寄せた。汗ばんだ彼の、その褐色の肌はきめ細かく、心地よくいくらでも触れていたいと思うほどだった。

 たった三度だけ。

 たった三度の行為だけで、本当にこの人を理解したことになるのだとしたら、それはなんと不義理なことだろうか。



 彼の身体が打ち震え、熱い精が彼女の中に放たれたそのとき、たまらない多幸感が彼女を包んだ。彼女に体重を預け、荒い呼吸を繰り返す刹那のうなじに手を伸ばし、癖のある黒髪をゆっくりと撫で上げた。無防備な彼の身体の重みが心地よく、上下するその背中の動きを、彼女はぼんやりと見つめていた。

「…フェルト」

 右を向いた彼女の鼻先に、整った彼の鼻筋が触れていた。吐精の疲労でどことなくくったりとした彼の瞳は、いつもよりも柔く潤んでいた。自分の名を呼ぶその愛しい唇に、彼女は初めて自ら口付けた。唇をついばむだけの、甘く小さなキスだった。

「…足りないよ…」

 刹那が彼女を見ている。眩しいものを見るような面差しで、目を細めて見つめている。

「もっと深く、知りたいの。…あなたのこと、」

 二人の間に確かに存在する、決して埋めることのできないへだたり、その空虚。

 たとえ何度身体を重ねても、あなたのすべてを理解することはできないかもしれない。

 それでも、それでも、この限られた生の中で、あなたに触れていたい。 

( 望んでもいい? )

 彼女は彼の指先を柔く握った。


 四度目を。