介護のみえる化(3)
某車の販売会社の看板、表は凄くきれいでピカピカ、まさにお客さんをひくようなビビットな雰囲気。ですが、その看板も裏はまる見え、表の様相はとはまったく逆でサビだらけでまったくみかねる状況。
これってもしかしすると介護の現場にもあるような光景のよう気がしました。
施設の建物、外観、真新しい設備などが表すると、そのハードを活かすケア力はまさにた私たちが自身が提供するケア、イコールソフトの部分ではないかと思います。
実は、表の部分よりこの裏の部分、ソフトのについてこそそこに身を置いている人たちが、取り組んでいく必要がある部分ではないかと思います。で、それはこの車会社のように、外側に人の目には結構、その
ほんとのところが見えているのではないかと思います。それは、専門性うんぬんの前に、「施設の玄関に入った瞬間」のその雰囲気、窓口の人の所作や対応などなど、自然に出迎えてくる対応、そして実際の現場で働く介護職員の対応や言葉かけなどと言われる「もの」から感じられるものってあるような気がします。
しかし、その一瞬一瞬に感じられる「もの」の要素はとは、等身大であるけれど、自らの仕事においてその利用者に係わる上に懸命に対応している姿であって、なおかつそうしていくためにその利用者にとっての係わりを確かなものへしていこうという行動であり、それが他者にとって目に映る、感じられる「もの」になっていくのだろうと思うし、そうなのだろうと思います。
意識ぜすとも、このように丸見えの状況であるということに介護の現場ななにも怯む必要なないと思う。それぞれの職員が、それぞれの利用者に係わる時って、その具体的な介助の判断はそのおかれた状況で、職員が行っています。それは周辺状況をみて、その利用者の「こうであろう」という「こう思う、こう考えているであろう」ということ相互関係の中で確かめながら行っています。この連続の中にあるが毎日介護の実践ではないかと思っています。職員の手さぐりの介助に、その根拠を導きだしているのがこの「確かめながら」の利用者との介護関係ではないかと思います。ここは介護においてで外せない部分、求められる思考過程ではないかと思っています。
このように介護の現場は、けっこう頑張っていいます。いまや、その介護をもっと高いものへと進めていこうじゃないかという時期にきています。そのとき、ある意味、丸見え状態を意識することが必要なのかもしれません。といより積極的に「介護の見える化」を行うことによって、さらに専門性といわれることの土台、この思考過程が強化されていくのではないかと思っています。
様々な介護に関する記録、代表されるのが24時間シート、その方の暮らしと、介護職員が係わる内容が記してあるものです。その方がどのような一日の時間の流れがあるのか、その時間をおって介護がどのような状況で行われているのか、まさに寄り添うケアの前提になる資料でもありますし、介護職員にはなくてはならないその方のデータであります。自分のことを自分での判断が難しくなってきた方については、その方の代わりに家族が様々な係わりを行います。介護の見える化は、施設全体としての外部への方向もありますが、まずはそこで暮らす方々が対象であると考えます。自分の親がどのような介護を受けているのか、ということに利用しない手はありません。というより、介護を見ていただいてもらうという、こちら側の姿勢が「介護の見える化」の一歩ではないかと思っています。
そこで暮らすの一人の方にとってのケアがどのようになされ、こちら側のどこに課題があるのかということをまず取り組んでいこうという視点、安心してくらせる。「あ~ここへ入って良かった」と利用者や家族の安心の源になることが必要ではないだろか。
利用者にとって必要なこと、様々なサービスや取り組みを広さとすれば、その方にとって満足してもらえるようなケアができているのか、これでいいのだろうかという思考は介護のな深さではないかと思う。
目の前にいる利用者の暮らしの支援、そこを棚上げしてはならないと思うし自分も振り返らなければならない部分だと思った。