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伊藤公国改神・伊藤博文

2020.08.31 01:53

https://ameblo.jp/roow/entry-10522492137.html 【宇都宮の「伊藤公国改神」「東北不動尊」】

けんじさん のブログで拝見してから、ずっと気になっていたところへ行ってきました。

宇都宮城の南西、道向かいにありますこの神社。

神社仏閣好きなわたしですが、全く気が付きませんでした。

鳥居の替わりに、剣の形をした石塔が立っています。

Roowの食う&料理&歩くの日記-扁額

扁額には、聞いたことも無い、見たことも無い言葉が・・・・

伊藤公国改神

東北不動尊

・・・・・・・・・( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)・・・・・・・・

何ですか?この神様は?????

Roowの食う&料理&歩くの日記-石碑

横にある、半分壊れた石碑からは「伊藤公」=「伊藤博文」であることが分かります。

伊藤博文を祭る神社・・・・・

・・・・なぜそれが宇都宮に・・・・

ネット上でも、驚くほど情報が無く、謎は深まるばかりです。

Roowの食う&料理&歩くの日記-神社内

神社の中です・・・・・

・・・・・ここは日本ですか???

まるで、中国の民間信仰の廟のようです・・・・・

(・・・・なぜこれが宇都宮に・・・・ぶつぶつ・・・・・)

Roowの食う&料理&歩くの日記-伊藤公の霊

「故伊藤博文公之霊」とあります。

前に釣り下がった、裸電球のソケットがいい味出してます。

正直、困り果てたので、写真を撮って、手を合わせたら、向かいへ。

Roowの食う&料理&歩くの日記-宇都宮城

わーい宇都宮城だ~!!\(^o^)/

ちゃんと来たことなかったんだよな~!!

こっちは富士見櫓です。

Roowの食う&料理&歩くの日記-櫓

土塁にも登ってみました。

こちらは清明台です。

靴を脱いで、中に入れますよ~

ああ、いい天気でした~!!!\(^o^)/

http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-entry-1979.html  【宇都宮で時空逍遥 ⑥】

 昨日ブログでは、交差点の信号機に付けられた標識に見る彼我の違いを綴りました。札幌では信号機が位置する町名を示しているのに対し、宇都宮では交差点の名称を表わしている(らしい)。その違いの「なぜ?」を解く前に、さらに別の疑問に移ります。

 12月13日ブログではじめに述べたように、宇都宮を訪ねたのは“軟らかい石の文化”が取り持つシンポジウムに参加するためです。にもかかわらず寄り道してばかりでは何ですので、肝心の大谷石も取り上げます。

 市内の芦沼という集落で観た石蔵です。

大谷石の蔵 宇都宮市足沼地区

 エクスカーションでご案内いただきました。芦沼は市内といっても、JR宇都宮駅から北へ12㎞あまり離れています。近郊農村です。この画像を載せたのは標準的な大谷石の風貌をお伝えするためでして、本題は別にあります。

 市中心部の宇都宮城址近くで観た祠です。

宇都宮市 東北不動尊伊藤公国改神 祠 

 「東北不動尊 伊藤公国改神」を祀っています。伊藤公とは伊藤博文です。なぜここに伊藤博文か、は措きます。

 気になったのは、この祠に用いられている石です。

宇都宮市 東北不動尊伊藤公国改神 祠 石材

 最下段とその一つ上は大谷石ですが、そのさらに上や開口部廻りは明らかに異なっています。祠から右方に延びている塀は大谷石です。

 本件祠の大部分を成しているこの石は何でしょうか。札幌軟石を少し赤みがからせたような色合いです。質感は、札幌軟石を少し硬めにしたようでもあります。凝灰岩の大谷石に比べて、硬くて強そうです。私はどうしても溶結凝灰岩たる札幌軟石に引き付けてしまいますが、これは安山岩かもしれません。札幌でいえば、札幌硬石に近い。

 宇都宮を未訪の方に念のため申し添えますと、市内で見かける石蔵はほぼ大谷石製です。この「ほぼ」というのは、私が4日間の宇都宮滞在で大谷石以外の石蔵は見なかったことに基づきます(末注①)。札幌市内で見かける軟石建物が100%近く、札幌軟石であるのに匹敵するといってよいでしょう。ちなみに宇都宮で目にする石蔵の数は、札幌で現存する軟石建物の数を桁違いに上回ります。ここでは立ち入りません。とまれ、上掲の石造祠は宇都宮における例外的存在だと思います。

 本日ブログも、大谷石そのものを飛び越えて、いきなり応用編に入ってしまいました。しかも私が“問題視”したいのは、大谷石以外の石が使われていることそれ自体ではありません。いうなれば、使われ方です。祠本体に安山岩のような硬い石を使い、それよりも脆いであろう凝灰岩たる大谷石をその礎に据えている。札幌軟石と札幌硬石の使われ方(末注②)を基準に考える私には、上下逆に思えてならないのです。

 注①:ただし、大谷石を用いた建物と私には見えても、実際には大谷地区の周辺で産出された別の凝灰岩を石材とした可能性はある。それらは個別の地名を冠して「○○石」と呼ばれた一方、包括して大谷石と称されてもいたようなので、ひとまず大谷石とひっくるめる。

 注②:2015.6.20ブログ参照


https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/11371  【カメラで見た明治期の栃木県内 開化商人上野文七郎の写真展 宇都宮の上野記念館】 2018/2/10 より

文明開化期に写真師として活動した上野文七郎(うえのぶんしちろう)(1839~98年)について伝える企画展「開化商人上野文七郎と写真館上埜」が宇都宮市昭和2丁目の上野記念館で開かれている。文七郎が撮影した写真や関連資料など約200点を展示している。宇都宮の初代県庁舎や、県内各地を県南から北上して撮影した写真などが並んでいる。

 鉄砲町(現在の宇都宮市馬場通り2丁目)町名主だった文七郎は、宇都宮の上野家の系脈。写真を誰に師事したかは明らかではないが、県令三島通庸(みしまみちつね)の御用写真師として明治10~20年代には公的な写真を一手に引き受けた。

 1879(明治12)年に米国のグラント元大統領一行が日光を訪れた際には、伊藤博文(いとうひろぶみ)、西郷従道(さいごうつぐみち)ら政府高官との記念写真を担当した。

 84(明治17)年には宇都宮の初代県庁の写真を撮影。正面から撮影した構図は日本近代洋画の父高橋由一(たかはしゆいち)が描いた県庁の下絵とほぼ同じで、「文七郎の写真が基になっている」と同記念館の上野憲示(うえのけんじ)館長。二荒山神社裏からの遠望もある。