日本宣教49-雲仙地獄で拷問処刑
2020.08.31 08:45
実はスペイン政府は日本への宣教師の渡航を禁止していた。しかし迫害が激しくなればなるほど宣教熱は燃え上がり、日本への密航が相次いだ。家光の時代には徳川幕府の権威を確立させていく。しかしそれを全く意に介さない宣教師にはもはや感情的な憎悪があった。
島原藩主松倉重政は、家光の叱責を受けて過酷なキリシタン弾圧に踏み切る。1625年から雲仙岳の「地獄」に沈めるという方法がとられる。27年に改宗を拒んだ342人が拷問で転向したが、改宗しない1人は地獄送りにされた。翌年にも207人がキリシタンに再改宗し、首謀者は竹鋸で挽かれた。
一方天草ではかなりの信徒がおり、領主寺沢広高も黙認していた。が、29年三宅重利が富岡城代に取り立てられてから弾圧が行われる。三宅は明智の縁者らしく細川ガラシャを頼って丹波で細川家に仕えた。そしてどこかでキリシタンになり、棄教した人物。
棄教者が反キリシタンになるのはよくあることだが、三宅も積極的に徹底的な弾圧を行った。こうしてこの地域でもキリシタンは居なくなったように思われた。が、密かに信仰は続いていたことが、島原の乱で知ることとなる。
下は雲仙地獄の殉教碑