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ZIPANG-4 TOKIO 2020 リビングヘリテージ(生きている文化財)「小岩井農場施設」について(その4)

2020.09.01 14:55

いま世界的に新型コロナパンデミックの真っ只中ですが、日本ではこれに追討ちをかけるように、7月初旬には「令和2年集中豪雨」と命名された災害で熊本県や岐阜県において沢山の方々が犠牲者となられ、大きな被害を蒙ったばかりです。

この度は9年前の東日本大震災において未だ復興途上にある三陸地域のニュースをお届けするに当たり、改めて犠牲となられたすべての方々へ謹んで哀悼の意を捧げるものです。

合掌

編集局記

国指定重要文化財 堂々と建つ小岩井農場施設内建造物
雪や嵐や日光や岩手山からの強風にも耐え抜いた歴史の重みを感じさせる木造建築なんだね

小岩井農場の春は桜の花より先に草の香りから始まります…4月末、桜よ咲け~!

夏の空には、王様カエル…沢山のひまわりと言えば⁉「ゴッホでしょ!」残念でした~「ひまわり」と言えば勿論、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの二大スターが競演したイタリア・フランス・旧ソ連の合作映画ですよ~ヘンリー・マンシー二の哀切なメロディも忘れられないですね!「一体いつの映画ですか~」小岩井農場の歴史に比べたら…ついまだ最近ですよ~ 1970年公開。50年前かな~「生まれていません‼」


いよいよ、猛暑も終わり…(いえ、カレンダー上の話ですよ…)
本日から9月に入りました。もう秋ですかね 〜?

新型コロナは全世界を巻き込むパンデミックとなり、オリンピックも流れ、日常の生活様式も一変させました。

そう言えば皆様には今年の春や夏には特別に楽しい出来ごとがありましたか? 残念ながら、小生はオンライン作業に明け暮れたせいか、曜日や時間の感覚が疎くなり、あっという間に一年間の2/3が過ぎ去っていました。

情けなくも、#マスク警察や手洗いの躾け(苦笑)には飼い馴らされましたが、それ以外は殆ど際立った記憶も残っていないようですナ。

パンデミックとは、人類が過去の経験知から得た教訓は、人間が欲望の儘に自然環境を破壊し、地球の秩序が保たれなくなった時、それはやって来ると伝えられています。 一種の地球的規模の浄化作用なのですね? 新しい価値感のもとで新しい歴史が始まる転換期であるとされています。

それは私達自身が過去の反省を踏まえ、夫々がより良い自分自身を造り変える意味合いを含んでいるのでは・・・?


毎年、秋になると小岩井農場の森では、動物や鳥や昆虫や・・・子供たちのため、色とりどりの様々な実りがあります…


                米


さて、久方ぶりに再びあの宮澤賢治が求めていた、幻の Image "イーハトーブ" の原点・小岩井農場 (自然共生の理念) のお話に戻って来ました。


リビングヘリテージ(生きている文化財)

小岩井農場施設は、洋式農場を目指して設立されたシステムで、それを示す一連の建物群が良好な状態で保存されております。


それらはすべて明治末期から昭和初期にかけての建築で、そのほとんどが今もなお、現役で使⽤されているのです。


国指定重要文化財の建物は、総務部門の下丸、育牛部門を置く上丸、飼料を生産する耕耘部門がある中丸の3つの地区に集中しています。


我が国における近代農場の発展過程を知る上でも重要な文化財であり、近代日本の大規模農場経営の歴史を示す建物群として後世に伝えるべきものでありましょう。


近代日本の畜産の歴史が垣間見える農場

小岩井農場の歴史は、我が国の酪農をはじめとする畜産の歴史であり、その生産工程・生産技術の試行錯誤・開発の歴史でもあります。明治末期から昭和初期にかけて建設され、現存している歴史的建造物群はその過程を示す貴重な遺産群です。


国指定される建築物のほとんどが現在も使い続けられている、いわば生きた文化財です。
そこで、⽇本の畜産、酪農業の発展の過程をご覧頂きたいと思います。  


小岩井農場のあゆみ

小岩井農場は、明治24年に本格的な洋式農場を目指して井上勝により開設され、共同創設者の小野義眞、岩崎彌之助を含めた各々の頭文字から小岩井農場と命名されました。


明治41年(1909年)、日本で初めて導入された農業用トラクター(蒸気式)


西洋式農法の積極導入

当時、明治政府は食料の増産のために、農業の近代化に力を入れていました。イギリス留学の経験を持つ井上も、機械化、効率化された西洋式の大農場を実現することで、日本の農牧業に貢献しようと考えていたのです。


小岩井農場の開拓や牛馬用の飼料作物の耕作においては、ハロー、播種器、レーキといったヨーロッパ式の進んだ農機具が積極的に取り入れられ、明治27年(1894年)には、蒸気機関の力でケーブルにつながれた犁(すき)を引くスチーム・プラウというイギリス製の大型機械も導入されています。

大正13年(1924年)に輸入された種牡牛「サー・ロメオ・フェーン号」


畜種牛の生産供給

岩崎久彌は、明治初年来の国策である殖産興業の一翼を担い、日本人の体位向上に資するために畜産振興を目標に定めます。種畜の生産供給(ブリーダー事業)を主とし、その餌となる作物の耕作を行なうことを(畜主耕従)経営方針としました。


オランダなどから輸入した乳用種牛をもとに品種改良を開始。全国の種畜場・牧場などに種畜を供給しました。これが現在に続く、畜産事業の始まりです。


小岩井農場は、海外から優秀な種畜を輸入し、品種改良を行うと共に全国に優秀な血統の牛を販売することで、日本の酪農の発展に寄与したのです。


バター製造に使われた「木製バターチャーン」


我が国の乳業事業をリード

小岩井農場を語る上で欠かせないのは、新鮮な牛乳とそれを用いた乳製品ですが、これらが事業として開始したのもこの時期です。飲用乳、バター、チーズの製造技術の確立を図り、我が国の乳業事業の発展に貢献しました。


私立小岩井尋常小学校


農場の暮らし(私立小岩井尋常小学校)

農場の経営が拡大する中で、農場員もその子弟も増え続けていきました。これに対応するため、久弥は、明治37年(1904年)私立小学校「私立小岩井尋常小学校」を設立しました。


昭和25年(1950年)に公立化されるまで、全国でも珍しい農場立の小学校として、数多くの従業員の子弟が卒業しています。親子二代、三代で農場に務める卒業生も少なくありませんでした。


久彌自身も小学校に深い関心を持ち、農場訪問の際は子どもたちにノートなどの土産を用意していたそうです。


小岩井農場 育馬部解散前


農林畜産業を基軸とした多角的展開

第二次世界大戦後、GHQの占領政策のため、農場用地約1,000ヘクタールを解放するとともに、経営の重要な柱のひとつであった育馬事業を廃止しました。


この経済的打撃は大きかったのですが、後に多くの事業に挑戦するきっかけともなりました。戦後の経済復興とその後の高度成長の時代にかけて、小岩井農場は農林畜産業を主軸に、複合的・多角的に事業の展開を図り、現在に至っています



小岩井農場の歴史


1891 年(明治 24 年) 井上勝(鉄道庁長官)が小岩井農場を開設

1899 年(明治 32 年) 岩崎久彌(三菱第三代社長)が小岩井農場を継承・牛乳の市販開始

1901 年(明治 34 年) ヨーロッパより優良種畜を輸入し、本格的に畜産事業を開始

1902 年(明治 35 年) 発酵バターの市販開始・育馬事業開始

1938 年(昭和 13 年) 小岩井農牧㈱設立

1949 年(昭和 24 年) 育馬事業終息

1950 年(昭和 25 年) この年までに 1,039 町歩の農場用地を農地解放

1962 年(昭和 37 年) 種鶏事業開始

1967 年(昭和 42 年) 観光事業開始

1972 年(昭和 47 年) 緑化エンジニアリング事業開始

1976 年(昭和 51 年) 乳業事業部門を分離し、キリンビール㈱との合弁で小岩井乳業㈱を設立

1996 年(平成 8 年) 場内建造物 9 棟が国登録有形文化財となる

2017 年(平成 29 年) 場内建造物 21 棟が「小岩井農場施設」として国指定重要文化財となる


それでは、国指定重要文化財「小岩井農場施設」の詳細について
ご案内いたします。


国指定重要文化財「小岩井農場施設」

 


国指定重要文化財建造物一覧


①本部事務所

1903年(明治 36 年)建設 建築面積 252.5 ㎡
小岩井農場の中枢を担い続ける現役の事務所。宮沢賢治の長編詩「小岩井農場」にも登場する。

②本部第一倉庫

1908年(明治 41 年)建設 建築面積 118.2 ㎡
本部附属の倉庫として建設。雨の日でも作業できる広い下屋が特徴。現在も倉庫として使用中。

③本部第二倉庫

1898年(明治 31 年)以前建設 建築面積 132.2 ㎡

最古の台帳(明治 32 年)に記載があり、確認される中では農場内最古の建物。倉庫として使用中。 

④乗馬厩

1936年(昭和 11 年)建設 建築面積 320.6 ㎡

自動車のない時代、移動のための乗用馬や馬車曳用の馬を飼養した。16頭収容することができる。

⑤倶楽部

1914年(大正 3 年)建設 建築面積 633 ㎡

来客の応接・宿泊、従業員の集会施設として建設。一部洋室の和風建築。現在も会議室等に使用。

⑥四階倉庫

1916年(大正 5 年)建設 建築面積 515.6 ㎡

木造四階建ての巨大倉庫。家畜飼料となる穀物類乾燥庫として建設。電動昇降機が設置されていた。 

⑦旧耕耘部倉庫

1905年(明治 38 年)建設 建築面積 324.3 ㎡

家畜の飼料を作る耕耘(こううん)部という部署の倉庫として建設。四階倉庫と連動して使用。

⑧~⑪玉蜀黍小屋(四棟)

1929年(昭和 4 年)建設 建築面積 99.2 ㎡
明治末頃建設 建築面積 73.6 ㎡
1916年(大正 5 年)移築 建築面積 80.3 ㎡
1916年(大正 5 年)移築 建築面積 78.6 ㎡

牛の飼料となるトウモロコシ(デントコーン)の乾燥・貯蔵用に建設。現在は木材乾燥用に使用。

⑫一号牛舎

1934年(昭和 9 年)建設 建築面積 478.5 ㎡

当時最新鋭のスタンチョン式を取り入れた搾乳牛舎。現在も 68 頭収容の搾乳用牛舎として使用。

⑬二号牛舎

1908年(明治 41 年)建設 建築面積 522.2 ㎡

病畜用の牛舎として建設。大正 8 年に現在地へ移築後、乳牛が子牛を生む分娩用牛舎として使用。

⑭三号牛舎

1935年(昭和 10 年)建設 建築面積 1184.1 ㎡

子牛と種牡牛の育成用に設計された 100m近い巨大な牛舎。牛の月齢にあわせた多様な飼育室が特徴。

⑮四号牛舎

1908年(明治 41 年)建設 建築面積 692.6 ㎡

産室を備えた搾乳牛舎として建設。現在はすべて搾乳用に改造。一階は飼育室、二階は牧草貯蔵庫。 

⑯種牡牛舎

1917年(大正 6 年)建設 建築面積 249.2 ㎡

優秀な乳牛育成のための繁殖の元となる、エリート種牡牛を飼養する牛舎。平成15年頃まで使用。

⑰一号サイロ

1907年(明治 40 年)建設 建築面積 25.2 ㎡

⑱二号サイロ

1908年(明治 41 年)建設 建築面積 26.7 ㎡

レンガ造の巨大サイロ。日本に現存する最も古いサイロといわれる。昭和 50 年代まで使用。

⑲旧育牛部倉庫

1908年(明治 31 年)以前建設 建築面積 158.6 ㎡ 本部第二倉庫と同様、確認される中では農場内最古の和小屋組の建物。倉庫として使用中。

⑳秤量剪蹄室

1936(昭和 11 年)移設 建築面積 35.5 ㎡

牛の体重測定や爪切などを行った施設。足を痛めると健康状態に影響が出るため削蹄は重要な作業。

㉑天然冷蔵庫

1905(明治 38 年)建設 建築面積 242.2 ㎡

小山を掘って作ったレンガ造の貯蔵庫。電気を使用せず、自然の力だけで内部温度を約 10 度に保つ。


※文化財の名称が文化庁発表のものと異なっていますが、現在の当社内の呼称を使用しています。



次号では、指定建造物を更に詳しくご紹介いたします。



続く・・・



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

小岩井農牧株式会社
〒020-0507 岩手県岩手郡雫石町丸谷地36番地1 TEL:019-692-6027

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



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