明治維新の美談はウソだらけ! テロやり放題でも「正義」だった黒歴史
https://news.kodansha.co.jp/20170923_b01 【明治維新の美談はウソだらけ! テロやり放題でも「正義」だった黒歴史】 より
「降る雪や明治は遠くなりにけり」は1931年に中村草田男が詠んだ作の一句です。明治維新から63年が経っていました。この年、近代化の象徴である鉄道網計画の中であった清水トンネルが9月に開通しました。このトンネル開通は戦前の国定教科書にも取り上げられました。このトンネルは川端康成の『雪国』の冒頭のトンネルのモデルになったともいわれています。
こういった近代化の一方で同じ9月に柳条湖事件と呼ばれる鉄道爆破事件が日本の関東軍の謀略によって引き起こされました。満洲事変の勃発です。この年は軍国日本の侵略・拡張主義が前面に出てきた年にもあたります。
草田男は当時の日本のきな臭さ、息苦しさを感じて、明治の健全だった(と思われている)精神を懐かしみ、それが失われていくことを嘆じたのでしょうか。
こう回顧される明治を作り出した明治維新はどう考えられていたのでしょうか。
──誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じ込まされていた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのである。──
この本で原田さんが指摘した明治維新観は誰もが疑問を持たないでしょう、おそらく草田男も。正義であった明治維新、それが大正時代を経て、昭和前期の軍部の台頭によって歪められ、日本を敗戦へと導くことになったのだと。
この明治維新観は、原田さんによれば「官軍教育」で作られ教え込まれたものということになります。官軍教育とは勝者によって解釈され、綴られた歴史解釈のことです。この官軍教育で無条件に正義とされた明治維新観に根本的な疑問を投げかけ、批判をしたのがこの本です。この本は勝者の傲りへの怒りに満ちた、原田さんの「止むに止まれる想い」がみなぎった、熱い1冊です。
原田さんが追ったのは、幕末の“志士”と呼ばれた人たちの実態であり、また倒幕戦(鳥羽伏見、上野、会津、奥州等の戦争)の実態でした。
「長州藩士、薩摩藩士を中心とする『尊皇攘夷』派の『志士』たち」の実態とは端的にいえば「テロリスト」というものでした。幕末のテロリストというとまず新選組の名があがるでしょう。ですがテロリストは幕府側だけではありません。倒幕派の中でも人斬りの異名をとった4人、田中新兵衛、河上彦斎、岡田以蔵、中村半次郎たちはテロリストと呼ばれていました。
ですが、彼らだけではありません。天誅を叫んで暗殺に走った無名のものや、さらには明治の顕官となった伊藤博文、山県有朋、非命のうちに倒れた西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らも「現代流にいえば『暗殺者集団』、つまりテロリストたちであった」のです。
さらに維新の原動力となった志士、その志士たちのバックボーンともなった吉田松陰の実態も厳しく批判されています。私たちが抱く松陰のイメージは松下村塾で有能な若者を育成した教育者・思想家として知られていますが、それは「明治が成らが立してから山県有朋でっち上げた虚像」なのだと。むしろ「乱暴者の多い長州人の中でも特に過激な若者の一人に過ぎない」と。ちなみに松陰が多くの弟子を育てたという松下村塾は松陰の叔父の玉木文之進の私塾でした。松陰=松下村塾というイメージも後から作り上げられものだったのです。
幕末・維新の姿がこの本を読むと一変します。そもそも江戸時代を鎖国だったというのも明治以降につくられた説だともいわれています。最近の文科省の学習指導要領でも「鎖国」という言葉が消え、「幕府の対外政策」に改められるそうです。あるいは鎖国というものも、孤立した江戸幕府を倒し、近代を作り出したという明治維新の意義を高めることに使われていたようにも思えます。
また、幕末の幕閣・諸大名へ原田さんの厳しい評価も目を洗われます。やはり「官軍教育」のせいでしょうか、私たちは幕閣は頑迷固陋で、また諸外国へは弱腰というような印象が思い浮かびます。けれどこの本を読むとそのようなものがある種の偏見・先入観のように思えてきます。いわゆる「幕末の四賢侯」もどうも伝わっているようにさほど能力を発揮していないようですし、倒幕派がならず者風であるのにたいして、幕閣のほうが能吏のように思えてきたりします。
つまるところ、赤報隊を指嗾して江戸に騒擾をもたらし、武力行使に持っていった長州・薩摩に幕府がのせられてしまったのが戊辰戦争であり、その帰結のとしての明治維新でした。徳川慶喜が将軍でなかったら維新はどうなっていたのかわかりません。この本でも自分の才覚に溺れた慶喜では倒幕派の胆力や知恵に及ばなかったということがいわれています。皮肉にも尊皇思想を育てた水戸家出身の将軍が大政奉還の賭けに出て、思惑通りにいかず破れていった……。
けれどその後に大きな悲劇が待っていました。二本松藩、会津藩の凄惨な闘いです。100ページにわたって綴られた闘いとその後のありようはこの本の白眉です。敗北のうえ斗南藩へと移封された会津藩の悲劇、その旧会津藩士に原田さんは「誇り高き精神の豊かさ」を見出しています。無頼・テロリストに蹂躙された旧会津人が「悲しみの堆積の上に人を魅了する花を咲かせた」のだと。
勝者(=権力者)が解釈した歴史だけでなく、勝者によって追われた人びとから見た歴史をも検証すること、それが原田さんがこの本で主張した「歴史を皮膚感覚で理解する」ことなのです。
2018年には明治維新150年を迎えます。はじめの77年は近代化、帝国主義、軍国主義へと至る年月であり、後の73年は民主主義の年月といえるでしょう。150年の祝賀が明治維新をいたずらに美化すると、その後に続いた77年の歴史を肯定するような史観が出てくるかもしれません。そうでなければ、昭和の3分の1は間違っていたけれどそれ以外はよかったというような史観が出てくるかもしれません。どちらも明治維新だけは間違っておらず「無条件の正義」だということを出発点にしています。その「維新=正義」に根本的な批判を加えたこの本は、すべての歴史ファン、近代日本に関心がある方には必読だと思います。勝者の歴史解釈のごまかしをついた熱い1冊です。