日本宣教50-「日本のマルコポーロ」の悲劇
2020.09.01 08:07
1630年、世界を見たキリシタンが迫害の激しい日本に帰ってきた、岐部重勝洗礼名ペトロである。彼は1587年豊後の大友家の重臣の一族の家に生まれた。その年秀吉バテレン追放令を出し、当主大友義統がキリシタン迫害を始め、朝鮮の役後は改易されてしまう。
岐部一家は長崎に行き、ペトロは神学校に入った。しかし徳川幕府になり、禁教令のもとで、1614年彼はマカオに追放される。18年ペトロら日本人3人は司祭になるため、ローマに行くことにした。彼らは船でゴアに着いたが、なんとペトロは陸路ローマをめざし、途中でエルサレム巡礼も果たすのである。
20年頃ペトロはローマに着いた。11月彼は念願の司祭叙階を果たす、33歳。そして22年、迫害の日本に帰国を決意する。途中スペインを経て、リスボンから乗船、マラッカからタイの日本人町にも逗留した。そして30年3月2日、43歳にして鹿児島の坊津に帰国する。
日本では、結城了雪とも会い、仙台に向かった。しかし伊達家でも政宗亡き後迫害が厳しくなり、39年捕らえられ、江戸で穴釣りの拷問も受けたが、棄教どころか、信徒を励ますため、遂に処刑された。2006年この時代の殉教者187人と共に列福された。ペトロは「日本のマルコポーロ」とも言われている。しかしご本家となんという境遇の違いだろう。