令和2年度 9月議会 一般質問を終えて①
写真は、正月、阿下喜の大西神社の篝火です。今でこそ、大晦日の夜から、これだけの方々が大西神社に初詣に来られますが、以前は、違ったそうです。女みこしを支える若い衆が、自治会などに直談判して、まちを少しでも盛り上げたいということで、ふるまいを始めてから、こうしたにぎわいが生まれたと、前にお聞きしました。
今では、すっかり定着した、あげきのおひなさんも、最初は、まちなか発展会がはじめた小さなものでした。繰り返すごとにパワーアップし、今の主催者、はなももさんがウッドヘットベースで大きな雛壇で飾り始めて、バズリました。
これらが市民活動のお手本であると、私は、常に市民にお話します。
なぜなら、故郷、地元愛が、そこには、あるからです。
私が、プロパーの方には勝てない・・・と思うのは、ずばり、そこです。
(そんな私がいなべ市の市議会議員を拝命しているのだから、そりゃ、頑張んないといけない!と、常々、自分を律しています。しかし、大変、住みよい、素晴らしい地です。よそ者だからわかることもございます)
本日、9月定例会の一般質問を終えました。私の今回の質問のテーマは、市民との協働と真の地域の活性化です。
にぎわいの森の建設に関して、多くの方に反対であることを言われました。しかし、私は賛成しました。北勢地域の中心は、海沿いです。いなべ市は、正直、四日市や桑名に比べればマイナー。私が「四日市からいなべへ引っ越す」と話したら、多くの方から「なんで!いなべへ引っ越すの?」といささか変りものを見る目で言われました。
それが一般的な見方でした。
名古屋で取材の時に、私が、いなべから来たと言えば、
15年ぐらい前なら、「いなべって聞いたことはあるけれど、どこ?」が主流でした。
「桑名の山のほうです」「・・・・・・?」
いなべ総合学園高校が甲子園に出場したことを境に
「いなべ・・・・あああ。野球強かったね」(なぜかイントネーションは、「いなべ⤵︎」と下がる)言われるようになり、
TOJがスタートすると
「何か、自転車レースやってたね!!いろいろ、いなべ、やってるね」
暮らしのシューレさん、上木商店さん、岩田商店さんができ、桐林館を含んでメディアに取り上げられ、インスタがブームになり始めると、
「木造校舎のカフェ、行きましたよ」とか「レトロな居酒屋さんできましたね」
と言われるようになりました。
新庁舎論争、にぎわいの森大論争!!!
「何で他所から店を連れてくるんや!!!しかも、税金で!!!!」
その反応は、一部、正しいと言えますが、市議になってからすぐに私は、担当部に、こう申し上げました。
「にぎわいを持ち込み、全市域に人の流れを作り、既成飲食店の利益を上げる」というグリーンクリエイティブいなべ事業の全貌が市民に伝わっていない」です。
それまでの市議会での議論を市民としてしていても、議論ポイントは全体に及ばず、各論ばかりが、目立った状態でした。あれでは伝わらないと、先輩議員を批判するようなことも申しました。(すみません)
新庁舎が完成し、にぎわいの森も規模を縮小して、なんとかできました。
おかしなことに、多くの市民から「なぜ、いなべの蕎麦屋がないんだ!!」とお叱りを受けますが、最終的に議会にて原案を否決し、市は規模を縮小したのです。それも、あまり、伝わっていない。(あれだけ、議会で激論もしたのに・・・・)
結果、確実にいなべ市の知名度は上がり、勝手に「森の庁舎」と呼ばれるようにもなり、全国からの行政や議員の視察も多くなりました。
もともと、西日本と東日本の気候の影響を受けるいなべ市は、自然の宝庫で、それに敏感な方々の移住も増えています。また、あまりないコンセプトのまちづくりなので、国からも注目され、SDGs関係の地方創生事業が一気に活性化し、ノルディスクやスノーピークなど、国内外のブランドアウトドアメーカーがまちづくりに参入する流れとなりました。
「三重県のいなべ市は、何かすごいし、住みやすいらしい」
いつしか、そんなまちになったことは事実です。
もしかしたら、全国的な市になるかもしれません。まんざら、ないことではないです。
しかし、それでも一番大切なのは、大西神社の篝火であり、はなももさんによるあげきのおひなさんです。
市民自らが参画し、自分の手でまちを作る実感がないまちは、いずれ、破綻します。
愛がないからです。ブームで終わり、一部の方が消費して、おしまいです。
故に、私の今回の一般質問は、「もっと地域や市民を巻き込んで、行政との意識的な乖離を解消しないといかん!!!」というのが、大きなテーマでした。
(つづく)