「Please teach the meaning of the kiss. 」:本編沿い2期中盤 / 友達以上恋人未満
優しいキスをされた。触れるだけの小さなキスだ。彼のキスはいつも余韻もなんにもないものだから、一分もあればすぐにキスをした、その事実すら忘れてしまう。そして、何時間も後に突然思い出して顔が火照ってくる。すごく卑怯だ。私にとって彼は卑怯そのものだ。
Please teach the meaning of the kiss.
(それってどのくらい幸せなことなの)
出撃前、二人で過ごした休憩時間が終わる前、そして、眠るとき。
分かっている。死と隣り合わせに生きていることを。だから刹那は別れ際にいつも酷く優しくなるのだろう。キスをしてくれるのはいつもそういうときに限る。
小さな小さな、短いキス。人目を憚っているからか、いつも私をその大きな腕の中に隠して、キスをする。
「がんばってね」
「無理はしないで」
「おやすみなさい」
そう言って二人、それぞれの仕事に戻っていくのが当たり前になっていく。いつかの映画で観た出征兵士と恋人の別離のシーンのようだ。 ただ、私たちは私たちのあいまいな時間に一つの終止符を打つためにキスをしている、そんな気がするのだ。何もせず、何も言わず、寄り添い合っているだけの二人きりの時間に。
ドラマや小説で見る恋人たちとは、鳥と魚のようにかけ離れている。ベッドがあろうが安易に二人とも服を脱ぐことなどしないし、甘い紅茶はあっても、甘い言葉はそこにはない。だが、それでいい。
刹那が組織に帰ってきてからというもの、自然と二人でいる時間が多くなって、そうしているうちにいつの間にか別れ際にキスをするようになっ た。初めてキスをしたのは深夜にブリッジで二人、話をしていたときだった。青白いモニターの光に照らされた刹那の横顔、あまりに綺麗で、手を伸ばしかけた。伸ばした手は彼の手に掴まって、そのまま唇が重なった。音もない、静かなそれがもたらした気持ちは、言葉では言い表せないような、そんな気さえするのだ。
私たちは恋人同士なのだろうか。
そんなことは恐ろしくてとても彼には聞けない。セックスだってしたことはないし、愛していると囁いたことも、囁かれたこともない。私自身、刹那への気持ちが恋なのかすらよく分からない。ニール・ディランディに淡い思いを抱いていた頃のように、もっと側にいたいとか 、自分だけにその笑顔を見せてほしいとか、そういう気持ちがほとんどないからだ。
いっしょにいるとすごく落ち着く。気持ちはまどろんで、なんだか眠くなって、彼の肩を借りてうたた寝をしたくなる。何気ない会話だけでいい。事足りる。刹那はどんな人に対しても平等だから、刹那が他の人に必要とされることにもなんとも思わない。そして、最後に刹那 が少しだけ私を求めてくれる。
「…それだけでじゅうぶん」
「?」
「ううん、なんでもない」
思わず零れてしまった言葉に、刹那の不思議そうな顔。薄暗い展望室に二人きり。立ち込めるのはコーヒーのほろ苦い熱気。寄り添い合ってまどろむ時間がまた少し過ぎたあと、私は私にしてはちょっと意地の悪いことを思いついた。
「…ね、刹那」
「どうした?」
「キスしてほしいの」
私の突然の言葉に、刹那は驚いたように眼を丸くした。見たこともない表情を見れること自体は、けっこう嬉しい。でもその顔はすぐ平静を取り戻して、いつもの冷静な瞳が私を射抜く。刹那の瞳の奥の光が色んな感情を纏っていて、綺麗だと思いながら、続ける。
「キスしよう」
「…構わないが」
フェルトらしくないな、と刹那は言う。私だってたまには刹那を困らせたくなるものだ。だっていつもあんなあっさりとした、けれど酷く優しいキスばかり一方的に受けてるんだもの。卑怯なくらい何でもないような顔で。
私の顔に刹那は手を伸ばして、目尻の辺りを優しく撫でてくれる。心地よさに眼を閉じていると、ちゅっと小さな音を立てて刹那の唇が私の唇に触れて、離れていった。
やっぱり。触れるだけの小さなキス。
「…変な感じ」
「どうして」
「いつもさよならの時しかキスしないから」
「四六時中したいのか?」
刹那は真面目にこういうことを言うから面白い。そういうわけじゃないってば、と私がわざと怒ったように言うと、刹那はちょっと呆れたような顔をして抱き寄せてくれた。そして、私の耳元で優しく囁いた。
「そんなもの必要ない」
「…うん」
刹那の鼓動がすぐ手の中にあるのを感じた。そう、私は確かめ合うことなど必要ないと言う刹那の、その刹那らしさが、哲学が好きなのだ。あなたがあなたらしくいてくれることが、私にとっては一番の幸せ。
「…でも、フェルトだけはほしい」
だけどその、呟くように囁かれた言葉に私は驚いて、思わずさっきの彼みたいに眼を丸くして刹那を見た。刹那もなんだか自分で言った言葉が自分で信じられないような微妙な顔をして私を見ていた。
まるで幼い子どものようなその顔を、私は微笑ましく思って刹那の首に手を回す。同時に腰に回される腕は強い。
これが私たちの愛なのだろう。彼を作り出している一つ一つの細胞を愛している。彼を作り出した地球を、宇宙を、愛している。それは刹那もきっと同じのはずだ。
こんな私たちが惹かれあうのは、どう考えても滑稽だ。馬鹿な私は、そんな彼の言葉に単純に喜んで、涙すら流しそうになる。ねえ、形あるものはいつもいつかはこわれてしまう。知っている、知っているけれど、今だけはいつもよりも長いキスをしようよ。