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2020.09.02 18:03
世の中には「柔道」、「剣道」、「華道」、「茶道」など、「道(ドウ)」とつく言葉が多くあります。これらの言葉に共通することは、すべて、それらの事柄を極めるにあたって”これで良し“という終わりのないものです。
例えば、柔道の世界では、世界大会でチャンピオンになったからと言って、柔道のすべてを極めたわけではありません。世界チャンピオンになっても柔の道は続きます。
仏教も同様に、その教えを学ぶことを「仏道(ブツドウ)」と言い、「道」という字がつきます。つまり、仏教の教えを学ぶということに、これで終わりという区切りがなく、一生涯続くものなのです。
学生時代、仏教の勉強をしている際に、よく、先生から仏教を学ぶことを、魚にたとえられて
『魚の美味しさは、解剖してもわからん。魚の美味しさは食べてみて初めて分かる。仏法も、いくら知識をたくわえても、分からん。仏法に生きることよって、その尊さが分かる』
と教えられました。
「お念仏って何?」とか、「阿弥陀さんってどんな仏さん?」という疑問については、一生懸命勉強すれば、知識を得て、頭では理解できるでしょう。そのことも非常に大切なことですが、しかし、それだけでは、仏法の尊さについてなかなか実感できるものではありません。仏教の教えを自身の生活に照らし合わせながら聞くことによって、はじめて、その尊さが実感されてくるのです。
仏教の教えを学ぶことを「仏道」というのは、繰り返し、繰り返し聞き続ける。そして、常に仏法を味わうことが、本当に仏教を学ぶということだからでしょう。