国産み ~其の伍~
国産みの章、一気に終わらせてしまいましょう。
まずは原文と和訳をご紹介します。
※古事記原文
次生伊豫之二名嶋、此嶋者、身一而有面四、毎面有名、
故、伊豫國謂愛上比賣此三字以音、下效此也、
讚岐國謂飯依比古、粟國謂大宜都比賣此四字以音、土左國謂建依別。
次生隱伎之三子嶋、亦名天之忍許呂別。許呂二字以音。
次生筑紫嶋、此嶋亦、身一而有面四、毎面有名、故、
筑紫國謂白日別、豐國謂豐日別、肥國謂建日向日豐久士比泥別自久至泥、以音、
熊曾國謂建日別。曾字以音。
次生伊伎嶋、亦名謂天比登都柱。自比至都以音、訓天如天。
次生津嶋、亦名謂天之狹手依比賣。
次生佐度嶋。
次生大倭豐秋津嶋、亦名謂天御虛空豐秋津根別。故、因此八嶋先所生、謂大八嶋國。
※現代語訳
次に伊予之二名島イヨノフタナノシマ(四国)は身一つに4つの顔があり、
それぞれ愛比売エヒメ(愛媛県)、飯依比古イイヨリヒコ(香川県)、
大宜都比売オオゲツヒメ(徳島県)、建依別タケヨリワケ(高知県)といいます。
次に三つ子の隠伎之三子島オキノミツゴノシマ(隠岐島)
(またの名を天之忍許呂別アメノオシコロワケ)といいます。
次に筑紫島ツクシノシマ(九州)も身一つに顔が4つあり、
白日別シロヒワケ(福岡県)、豊日別トヨヒワケ(大分県)、建日向日豊久士比泥別タケヒムカヒトヨクジヒネワケ(長崎県・熊本県・佐賀県・宮崎県)、建日別タケヒワケ(熊本県・鹿児島県)といいます。
次に伊岐島イキノシマ(壱岐島)を生み、またの名を天比登都柱アマヒトツハシラといいます。
次に津島ツシマ(対馬)、またの名を天之狭手依比売アメノサデヨリヒメ。
次に佐渡島サドノシマ(佐渡島)
次に大倭豊秋津島オオヤマトトヨアキヅシマ(本州)、またの名を天御虚空豊秋津根別アメノミソラトヨアキヅネワケといいます。
この八つの島がまず生まれたので、大八島国(オオヤシマノクニ)といいます。
ここからこの二神は、大八島を構成する島々を生み出していきました。
産んだ島を順に記すと次のとおりです。
1.淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島
2.伊予之二名島(いよのふたなのしま):四国
○胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通りです。
愛比売(えひめ):伊予国
飯依比古(いひよりひこ):讃岐国
大宜都比売(おほげつひめ):阿波国(後に食物神としても登場する)
建依別(たけよりわけ):土佐国
3.隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島
名は天之忍許呂別(あめのおしこわけ)
4.筑紫島(つくしのしま):九州
胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
白日別(しらひわけ):筑紫国
豊日別(とよひわけ):豊国
建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよじひねわけ):肥国
建日別(たけひわけ):熊曽国
5.伊伎島(いきのしま):壱岐島
別名は天比登都柱(あめひとつばしら)
6.津島(つしま):対馬
別名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)
7.佐度島(さどのしま):佐渡島
8.大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):本州
別名は天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)
以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに)という。
このあとも日本国小さな島をお産みになれれます。以下は役のみ掲載します。
二神は続けて6島を産みます。
1.吉備児島(きびのこじま):児島半島
別名は建日方別(たけひかたわけ)
2.小豆島(あづきじま):小豆島
別名は大野手比売(おほのでひめ)
3. 大島(おほしま):周防大島
別名は大多麻流別(おほたまるわけ)
4.女島(ひめじま):姫島
別名は天一根(あめひとつね)
5.知訶島(ちかのしま):五島列島
別名は天之忍男(あめのおしを)
6. 両児島(ふたごのしま):男女群島
別名は天両屋(あめふたや)
ここに日本の国土が完成いたします。
めでたし、めでたしです。
ただし、ここに二つの疑問が生まれます。
ひとつは、ここに、北海道、東北、沖縄が含まれていないことですが、これは簡単です。、
古事記が書かれた頃の律令国家時代に、まだ、朝廷の支配は、北海道、東北、沖縄にはまったく及んでおりませんでした。
(但し、この点は異説もたくさんありますが、現在略正史と言われている部分ではそうなっています)
もうひとつはこの誕生の順番です。
なぜ淡路島が最初なのでしょうか??
これは現在解明されていません。
恐らくですが、二神が地上に降り立った際の淤能碁呂島に近かったのではないかという推測がなりたちます。
しかし、「日本書記」をみてみると面白いのはこの順番が違うのと、国の名前も変わっています。
最初は淡路島ですが、次からが若干違います。特に四国に関して古事記ではこんなに詳しいのに日本書記は、ただ、島の羅列に過ぎません。
わたくしの単純な考えですが古事記では、前述のように国にひとの名前がついています。これはまさに擬人化です。日本は神話時代よりこういう擬人化が好きだったのだと思います。また、四国のよっつの国はその名前から二組みにわかられますが、これはそれぞれパートナーになっています。夫婦神の考えが持ち込まれています。さらに注目したいのが、四国の次に何故か「隠岐島」が出てきますが、これはなにかというと、領土の主張だと思っています。この頃(古事記編纂時)はすでに活発な大陸及び半島との国交があり、特に半島には神功皇后以降いくさもありました。隠岐島や対馬、佐渡島を、九州が本州と同じように扱うことで、日本の領土をしっかり主張しているのは本当にところだと思っています。
いずれにしても、このあたりがまた古代ロマンの面白いところです。
最後はちょっと駆け足になってしまいましたが、「国産み」についての記述はこれで押しまいになります。