有り余る時間のなかで
考えてみればもう随分と長らく音楽を
やっているのだ、僕は。
相変わらずの無名ではあるが、
ほとんど途切れることなく
やってこれたことは幸いである。
ひとつのやり方に拘ることなく、
その時々に吸収したもので変化し、
その変化がまた次のことに繋がり…
というようなことを絶え間なく、
また、それを気ままにやってこれたのが、
自分にはひどく良かった。
煩わしいことが少なかった。
それが大事なのである。
いつでも「理想形」はあるのだ。
もっと言えば表現したいことの、
その確かなスタンス。
こうなるべき、
という理想のカタチは確かにあるのだ。
でも、やってみると実に遠い。
なかなか近づいてこないと、
それはそれで苦しいもの。
そんな具合に陥っても、
今までサジを投げなかったのは、
次々とカタチにしたいネタが浮かぶからだ。
それを追いかけているうちに、
時間が経っていた、ということになる。
いつもそんな具合だから、
不毛なやりとりがキライである。
行く先のない会話は好きではない。
たとえ社会の不正を糾弾するにしても、
解決を志向しない論争は時間のムダ。
前進するためになら頑張る気になるが、
そうでなければ
穏やかに自分の成すべきことにのみ、
注力したい。
そしてそこで意見したい。
その点に迷いはない、と思う。
そういう意味で
この馬鹿馬鹿しい「コロナ茶番劇」は、
僕から大半の仕事を奪った代わりに、
穏やかに自分の成すべきことに注力する
時間をたっぷりくれたのだ。
そう、皮肉なものと受けとることはない。
今を悲劇に感じる人には申し訳ないが、
これは実に人間存在の愚かさの証明である。
たいした害もないウイルスを、
空想で強敵に仕立て上げたのだから。
この刷り込みの呪縛から
世の中がいつ解かれるのか。
じっくり観察していきたい。
なんにせよ
ネガはポジに反転できるのだ。
いつもなら無理なことが、
こんな時期だからこそ可能になる。
キアトやネガコースティカのアルバムは、
時間をかけてやってきたことが
たまたま2020年にカタチになっただけだが、
チーム電波は
この状況下だからこその成果。
東京・名古屋・大阪のテレワーク共同制作は
僕らに自信を与えてくれた。
そして、今、取り組んでいること。
・ファーカンダ アルバム2枚
・東京キッチン Revoice Project
・鎌田東二 3rd.アルバムプロデュース
もちろんネガコースティカ、
そしてキアトの新曲たち!
2020年の終わりまでに、
どこまでやり進めることができるだろうか?
コロナ茶番劇はやがて収束する。
その時期が早いことを願いたいが、
この呪縛を解くのは生半ではない。
そしてワクチンという、
ペテン・ビジネスが次に控えて、
この愚かしい騒動には第二幕があるのだ。
やれやれ、と嘆いてもみたい。
それでも、この時に意味があるとしたら、
それは生きるチカラの。
創造性還元に他ならない。
平凡なウイルスにさえ怖れ慄く
ここまで弱体化してしまった人類だが、
まだ本来の生きるチカラは
どこかに残っているんだろ?
今、問われているのは、これだね。
生き物としての矜持はあるのか?