南宮山
「南宮山ハイキングコース入口」
大垣の隣、垂井町の南宮大社からつながるハイキングコースの話です。写真はその入口で、獣よけのネットと鋼鉄の門扉が行く手を遮ります。施錠されてはおらず、人間の出入りは自由ですが、必ず閉めて閂を掛けておけとの注意書きがあります。深夜にこの辺りを車で走ると、鹿や狸を見かけます。そういった害獣除けなのでしょう。
仕事をする気が起きず、運動不足もあったので、登ってみました。片道およそ一時間のコースと表記がありました。とんでもありません。地獄の三時間コースとなりました。熱い中を飲み物も持たずに入り、脱水や熱中症になりそうで不安でした。忽ち、真新しい靴が足を痛め、踵に激痛が奔ります。平日の夕刻に近い時間、半ば駆け足で追い抜いていく男性が二人、平然と降りてくる年配の男性二人とすれ違いました。僕の悲惨な状況を憐れんで、皆声を掛けてくれます。
死ぬ思いで辿り着いた頂きに、何が在るわけでもないのです。関ケ原の戦いで毛利秀元の陣跡だったらしいです。晴れていれば岐阜城はおろか、名古屋城まで見晴るかせるとか。大気に靄がかかり、この日は見えませんでした。帰りは西回りコースという方を選んだのですが、こちらは恐ろしい悪路です。靴擦れをかばい歩くうちに両ひざと股関節を破壊されました。誰にも逢わず、意外に近い藪の中に鹿を見ました。
今から四百と十六年前、この辺りで合戦があったとは不思議です。鉄砲はともかく、剃刀なみの切れ味の石も切れる三尺の刃物で切り合うなんて正気じゃありません。忍者にしろ、侍にしろ、欧米では人気ですけれど、理解の難しい存在です。
「今日の廃墟」
ということで、ハイキングコースの帰り道にあった建物の基礎跡です。基礎は方形で、東西南北に辺を合わせていますが、この写真手前の水槽様のものだけが不自然に斜めです。在りし日は果たしてどんな姿だったのでしょうか。ここより少し下ったあたりに倒れた街頭が何やら無残でした。