あえてハードモードを選ぶこと
9月になり数日が過ぎた。
少し昼間の時間が短くなったようだ。季節は確実に動いているのであろう。時間はかくもさりげなく秩序を保ちながら移りゆく。余裕をなくす多忙な日々、ふと顔を上げると、稲穂が見事な黄金の波をうねらせており、夜ごとに響く虫の合唱を耳にし、吹く風の心地よい涼しさに触れて、ようやく、そうだ秋が来たのだと驚く。ならば毎日かかさず外の世界を観察していれば、季節の移り変わりに気づけるのだろうか。否、自然が素晴らしいのはそのさりげなさにこそある。その変化を知る瞬間は、日々を懸命に生きる我々にとって大きな慰めとなる。それほど自然は美しい。
昨年の今頃はとある試験を受けるために勉強をしていた。長い間合格を夢見ていたけれど、本気でそれをつかみにいこうと決めたのが一昨年末。昨年は仕事において特に多忙を極めた年だったので、計画したとおりに学習ははかどらなかったし「やはり、無理かも」と最低3回は諦めかけた。今だから言えるが、学習の継続があまりにも辛く、自分の至らなさに泣いたこともある。しかし、一度決めたことはやり通そうと思った。結果、家族の協力と友人の励ましを得て、何とかかんとか合格することが出来た。
合格通知を受け取ったときは、これまで経験したことがない喜びであふれた。基本的に我が人生の9割以上は「楽しそう!面白そう!」が物事のモチベーションとなる。楽しくて面白ければ、多少苦労しても乗り越えて来られた。しかし去年の試験は「合格」が目標であり、決して「楽しいから」始めたものではなかった。これほどまでに「辛い、苦しい」と感じながら目標に向かって努力したのは、あるいは初めてだったかもしれない。貴重な、大変に貴重な経験だったと思う。有り難かった。辛かったけど。
我々は日々進むべき道を選択して生きている。
そして人生には初めからその大変さが分かっているのなら、あえて選ばない道が存在する。ハードモードの道を選ぶなら、無論苦労が増えることは間違いないし、自分の不甲斐なさをこれでもかというほど知らされて落胆することもあろう。しかし、その道のたどり着く先を見ることが出来るのは、それを選んだ者だけだということも真実である。
ならば、まだ見ぬ輝きを自らの手でつかむためあえて難解な道を選ぶのは、高尚な生き方ではなかろうかと私は思うのだ。
Be ambitious, boys and girls!